五章 呪いを越えて 1

 
 四九号室という部屋番号は、そのままダンらの班番号となる。
 すでに五〇号室は空であり、四〇号部屋の残りは三つ。三〇号やら二〇号あたりはまるごと空きになっている部屋は少ないものの、四人揃っている班はない。十五号以上に至っては脱落者は皆無だ。
 戦力ねぇ。たしかに多対一は大変だろうが……うちらはまぁ、マシな方か。
 曇天の下、状況を思い描きつつダンは先発していく上位班を眺めていた。
『ネリーの箱庭』と呼ばれる守護警士養成所の裏手には、ロシュラン連峰に属するウトラウ山の裾野が広がっている。高さはちょうど雨雲が到達するかしないか。それでも一日で上り下りするには充分きつい山と言える。
 そんな山が最後の試練場だ。
 緑深き森へ、呼ばれた順に班を組んだ資格者たちが消えていく。
 先着ってわけじゃなくとも、最後ってのは厳しいかもなぁ。
 目的は山頂付近にあるという『ラフマス鉱石』を持ち帰ることだ。希少価値が高いわけでもなく、山頂あたりに行けばそこらに転がっている品で、遅く出立しても無くなることはないらしい。
 だが厳しいと感じる点は、目的の品ではなく規則だ。
 何でもあり。
 真石が手元にないため、真術が行使できない点以外は何でもありなのだ。
 資格者同士の戦闘可、妨害可、強奪可、果ては戦死もありな規則。だからこそ後続は不利になっていく。
 面倒な馬鹿が多いよなぁ。
 スエントの話によれば、上位陣と下位陣のなかにかなり好戦的な輩がいるらしく、そいつらがおもしろ半分に戦闘を開始する可能性が高いという。となれば後続組は待ち伏せなどにも気をつけなくてはならない。
 いずれ同僚になるかもしれないのに、まったく。
「仲良くやればいいものを」
 ため息混じりにつぶやくと、傍らから吐き捨てるような返事が聞こえた。
「甘めぇぞ、そいつはぁ」
「まぁわかっているんですけどね」
 説教をかわそうと先手を打つも、スエントは軽く首を振り、
「わかってたらそんな幻想抱くかよ。守護警士同士も地域が変われば仲違いは激しい。同じ署でも隊が違えばいがみ合う。そんなもんだ」
「はぁ。あまり良い職場とは言えませんねぇ」
「他も似たようなもんだ。まぁ認められたら、また違うんだろうがよ」
「認められるまでは、ですか」
「そうだ。そして認めさせるには、相応のなにかを見せつける必要があるってわけだ」
 見せつける。理にかなってるわけか。
 この試練も実力を示すためにあるようなものだ。
 現実はつねに命のやり取り。……やるしかないんだな。
 腰に差した剣は支給品であるが本物だ。
 剣の柄にそっと手を置いて感触を確かめる。
 練習以外で装備したのは、何年ぶりかなぁ。
 実戦などしたことはない。これがダンにとってはじめてだ。
 でも違和感はないかな。妙にしっくりくるし。相性よかったりして。
 などと思っているとおもむろに背後から肩を掴まれる。
「なにさ」
 振り向くと、壇上を指差しているナフューが早口でまくしたてた。
「出番だ。ネリーがやばいぜ」
「もう?」
 あわてて指されたほうを見ると、すでにスエントのみが移動し終わり、壇上に立つネリーが無言でダンらを睨んでいた。
「ひでぇ、オッチャンひでぇ」
 一人行くスエントを批難しつつ、早足で壇上前へ移動し、三人揃って王国伝統の敬礼を取る。
「お前らはいつも、たるんどるな」
「いえ、ちょっと思い出に浸っていただけです」
 即答するのはダンのみだ。誰もが無言、もしくは肯定で答えるのに対し、ダンは反発するかのように言い訳を続けていた。べつに相手が憎くてやっているのではなく、正直に発言しているだけなのだが、教官らには不評らしい。
 お陰でいつも説教やら暴力的指導が飛んでくるのだが、今日のネリーは鼻で笑ったのみで話をはじめた。
「いいか、期限は夜半までだ。それ以降では不合格となる。わかったか」
「はっ」
「すべての行程は監視員によって観測されている。棄権用の休息場も五箇所設置してある。もちろんそこに入れば失格だ。……まぁお前らには必要なさそうだがな」
「ご評価、ありがとうございます」
 二人が黙るので、つい口にしてしまう。するとネリーは、ダンのみを睨んで声を掛けてきた。
「ダン、お前に一つ聞きたいことがある」
「なんでありましょうか」
「お前はなぜ、守護警士を選んだ」
「はっ。……えー王都の民を」
「建前を聞いているのではない、お前の真意だ」
 真意、ねぇ。真意それは。
 昔は憧れていた。しかしユジーンから勧めてくるまで眼中にない職業、それが守護警士だった。
 ぼくはなぜ。剣の腕を活かせるから? ……なんか違うな。
 ダンはしばし押し黙ったまま、ネリーとにらみ合っていたが、
「どうした、わからないとかは無しだ」
「はい。それはないです」
 ネリーの促しに即答しつつダンは心を決めた。
 やっぱあれしかないな。
 考え抜いて行き着いた真意を、はっきりと口にした。
「ぼくが選んだ理由は、生きるためです」
「生きる。単純だな」
「いけませんか」
 自分でもわかってはいる。ただ崇高な理念など持ち合わせていなければ、他の模範となる優秀な資格者でもないのだ。
 思いのままに選んだだけ。そのどこが悪い。
 開き直って不敵な笑みを浮かべたとき、意外な答えが返ってきた。
「いいや。悪いとは思わんな」
「それはどうも」
 聞き間違えた気がして眉をひそめるも、ネリーはさらに続けた。
「ならば生きるために。必ず手にしてこい、女神の涙を」
「は、はい。必ず」
 思わず返答が詰まる。それだけ意外な反応だった。
 なんなんだ、今日のネリーさん。これって激励になるんでは。
 今まで罵倒ばかりで励まされたこともないせいか、疑いの眼を向けるダンであったが、ネリーは構わずに号令を掛けた。
「では行くが良い。四九班! 出動!」
「はっ!」
 威勢良く三人揃って答えるも、すぐに行動とはならなかった。互いに顔を見合わせたあと、森へ向かってゆっくり歩きはじめる。
「お前ら、ほんとたるんどるな」
 ネリーの呆れた声に、ダンは振り返らずに大声で答えた。
「これ、作戦ですからー」
 
  ◇◇◇
 
 林道へ入った直後、ダンらは道を外れる選択を取った。
 大きく迂回しながら昇る。道なき道を、音を立てずに突き進んでいた。
 先頭はスエント、その後をダンが続き、しんがりはナフューが務める。スエントが先頭になれば自然となる順番だ。どうもナフューとスエントの間には埋められない溝があるらしく、間を取り持つ形でダンが真ん中へ入るのだ。
 しっかし、手持ちぶさただな。
 真ん中はただ前へ従うだけだ。後方への警戒感もあまりない。
 だからか、ついスエントに声を掛けてしまう。
「ちょっと、いいっすか」
「もっと小声だ。で、なんだ」
 前進を止めず、草の掠れる音に混ざった声をなんとか聞き取って、ダンもまた囁くように話しはじめた。
「いつまで、こうしてるんです」
「もうしばらく。てかよ、そろそろ聞こえてきたろ」
 聞こえますか。……一緒にしないで欲しいね。
 耳を澄ましても、移動で生じる擦れた音や、風のそよぎに答える草木の音ばかりだ。しかしスエントには聞こえているのだろう。元海の男と言っていたが怪しいものだ。今までの暮らしの中でも、豪快な面より妙に繊細な面のほうが印象深い。
 こっそり帰ってきても、目があったしなぁ。
 疲れ切った身体であっても注意し、音を立てずに忍び込んだのに気付かれていたのだ。
 スエント、あんた一体何者だ?
 未だ全貌を見せない男に疑念を抱いたとき、ダンは異変に眉をひそめた。
「風の流れが変わったぜ。これでわかったろ」
「たしかに、妙な匂いだ」
 ナフューの声にスエントが止まり、顔を向けてきた。
「ダン、お前はどうだ」
「あぁわかる。これは血の匂いだ」
 そよ風に混じった微かな匂いがわかる。
 前にあったなぁ。あれと同じか。
 記憶が過ぎるなか、スエントが探ってくる。
「やったことがあるか?」
「いや、無いよ。ただ居合わせたことがあるだけさ」
 あのときは剣を抜かなかった。やり過ごしたのだ。ユジーンと共に。
 幼年学校中の出来事だ。ダダン家で起こった家督争いに巻き込まれ、ユジーンを狙う一団から逃げ切ったときに嗅いだ匂い。ユジーンの護衛士やらお供の死体から漂ってきた匂いと同じだ。
 ガキだったから……しかし今は。
 心がざわつきはじめる。
 あの頃とは違う。
 ダンは目を閉じ、風に乗ってくる音へ耳を澄ました。
 草が揺れ、葉が掠れる。それらの向こうから微かに鋼の響きが小さく聞こえた。
 やってるのか。
 思わず歯ぎしりし、目を見開いて口走った。
「やっぱダメだ。どうもこういうのはぼくの性に合わない」
 すると、ナフューがため息混じりに、
「同感だ、ダン。俺も気にいらねぇ」
 肩を組みつつ囁き、二人してスエントを見た。
「おいおい。俺だってなぁ気持ちはむかついてるんだ。しかしわざわざなぁ」
「協力は感謝しているさ、スエントさん。判断は的確だし、こうして迂回も出来つつあるんだけど。このままってのはちょっと」
 申し訳なさそうに告げたあと、隣のナフューへ同意を求めた。
「な、そうでしょ」
「そういうこと」
 笑顔の即答だ。
 わかってるね。
 無謀に付き合うナフューへ呆れながらも安堵感を覚えていると、スエントが呆れた声をでつぶやいた。
「おめーら。ほんと馬鹿だな」
「まぁ四九号室ですから。あのときと変わらないんですよ」
「なら俺も四九号室。一九四位は本物だぜ」
 ひげ面の下で白い歯が見える。どうやらやる気らしい。
「良いんですか。せっかく迂回できているのに」
 スエントは三度目だ。もしものことを考えれば、ここで無理な行動を取るべきではない。そんな意味を込めた問いかけだったが、スエントは乱雑に伸びた髪を掻き上げながら眉をひそめた。
「おいダン。それはねぇぜ。俺たちはもう仲間だ。違うか」
「いえ、違いません」
「ならそういうことだ。俺も馬鹿ってことよ」
 不敵に笑ったスエントは、なだらかな斜面の向こう側を睨み、
「それによ、おめーらはまだわかってねぇだろうが、相手は六人だぜ」
 確信があるのか、はっきり数字を言い切った。
 ダンとナフューは互いに見合わせ、組んだ肩を外して口にした。
「良い人数です」
「一人で二人か。悪くない勝負だ。しかしスエントさんよ、なんで知ってんだ?」
 すっと眼を細めたナフューに、スエントは振り向かず、
「ある程度情報は握っている。それにお前さんらと違って、場数践んでるんでな。推測と状況判断で決めつけただけよ」
「なら確かじゃないんだな」
「確かかもしれねぇぜ」
 振り返ったスエントの顔からは、笑みが消えていた。
 これだからなぁ。なにがそうさせるのやら。
 軽くため息を吐き、ダンは二人の間に入った。
「ま、そこまでにして。スエントさん、推測で良いですから、相手はどのような?」
「確定だと思うけどよ。この辺りで狩っている奴らとなれば、カタム率いる二三班と、三五班のマッドナ兄弟だろう。どちらも血の気が多い奴らだ」
「四人と二人?」
「おう、その通り。ただ要注意なのは三人だがな」
 三本の指を突きつけたスエントに、ナフューが口を挟む。
「マッドナは見たことがある。たしかに奴らはやばい」
「そうか。でもいけるんだろ?」
「当たり前」
 即答に余裕が垣間見える。
「さすがナフュー」
「よせよ。それより俺からも一つ、アンタに聞きたいことがある」
「どうぞ」
「ダン、掟はいいのか?」
 それか。
 絶えず心のどこかで気に掛けてはいた。しかし鋼の響きを聞いたとき、掟のことなど眼中になくなるほどの衝動を覚えたのだ。
 定められた掟は、ぼくの迷い……そして答えは。
 あのとき、メーベルは『すでに示された』と言っていた。
 ならばぼくが取るべき……。
 思いが口をついた。
「掟の答えは、見えつつある」
「いいんだな」
「もちろん」
 吹っ切ったかのように答え、ダンは微かな笑みを浮かべて二人に問いかけた。
「じゃ、いいね?」
 ナフューとスエントは無言でうなずく。
 それが戦闘開始の合図だった。
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