四章 時の選別 2

 
 最初の一週間は基礎鍛錬のみ集中的に行われた。
 一に体力、というだけはある、異様な量をこなすことになる。しかも日を追うごとに鍛錬の内容は倍加し、元々基礎体力値が高いはずの二百名も徐々に音を上げはじめだす。
 そんななか、ダンだけがつねに居残りとなり、夕闇が迫るころもずっと鍛錬内容を繰り返させられた。
 これが特待生待遇。
 人の二倍、三倍の量を命じられる。不平不満、反発、言い訳すべてが許されない。ただ淡々とこなしていかねばならないのだ。
 お陰で人より遅れ、その都度教官から木剣で殴られ、痛みを堪えながらダンは言われた分量をこなしていく。
 夕飯時も無論間に合うわけなく。
 一人、残飯のような飯を食堂の隅で食い、寝静まった館を這うように部屋へ戻っていく。
 地獄とも言える生活。
 それでも耐え抜き、基礎鍛錬から王国伝統の剣術、アスラゴラス正剣一滅流やら真術の基礎を叩き込まれる三週間目を迎えた頃。
 いつもの如く痛む身体を押して部屋へ戻るべく、ゆっくり薄暗い階段を一団ずつ上がっていると、ダンの周りが仄かな明かりに照らされた。
 振り向くと、窓から中庭の光が差し込んでいた。
 あれか。
 ドムフの室内灯だ。中庭に一台、ぽつんと存在している。
 また……消えていくんだな。
 数えたらきりがないほど、この光景をダンは見続けていた。
 すでに参加者は一五〇名を切ったと聞く。
 耐えられず、夢やぶれて去っていくのだ。
「一体、何人残るんだ」
 思わず口をつく光景に、小さな声が答えてきた。
「もっと減るかもしれないよ」
 背後からの声に振り返る。その先には両手で荷物を抱えたセドルの姿があった。
「いくのかい」
「うん。もう、無理なんだ」
 弱々しくつぶやいたセドルは、ゆっくり階段を下りてダンの隣に立った。
「なんとかここまで、とは思ったんだけど。心が折れたんだ」
「そうか。でもがんばったじゃないか。ほかの連中なんて早々に」
 言っているそばから首を振られ、セドルが口を挟んだ。
「正直、がんばったとは思う。ここまで残るとは思ってなかった。だけど君ほどじゃないんだ。だから言わないでくれ。むなしくなる」
「そりゃ、すまん」
「いいんだ。ぼくの方こそ、我が侭を言ってすまない。本当に」
 軽く会釈したセドルは、微かに笑って話を変えた。
「しかし君は凄いよ、ダン。あんなに扱かれても、あんなにみんなから無視されても。全然逃げだそうとしない。最初はみんな、君が早々に王都送りになると思っていたんだ。なのに君は……凄いよ」
「そりゃどうも」
 たしかに扱きはきつい。しかしやってやれないことはなかったし、なにより乗り越えねばならない思いの方が強く、他のことなど気にしていられなかったのが現状だ。
 メーベルさんにも、会わないといけないしなぁ。
 会って散々な目に会ったことを報告してやる、そんな暗い思いが充満し、反対に励みになったのも事実だった。
 裏のない賛辞にいろいろな出来事を思い返していると、ゆっくりとセドルが手を差し出してきた。
「ほんとに君は。ぼくがここまでがんばれたのも、君の姿を間近で見せられたせいかもしれないよ。お陰で限界を見ることができた。ありがとう、ダン」
「そ、そうか? まぁ素直に受け取っておくよ」
 差し出された手を硬く握ったあと、セドルは再び階段を降りようとして、
「あぁそうだ」
 思い出したのか、最後にこう言い残した。
「終わり際にある試練は特殊らしい。そこでもっと減る可能性があるって聞いたよ。ただ運の要素も強いらしい。こればっかりは気をつけられないだろうけど。ダン、時の選別を乗り越えてくれ」
「あぁ。やってやるさ」
 幸運なんて、持ってないけどさ。
 心の中でつけたし、ダンは階段から去っていくセドルを見送った。
「運ねぇ」
 一人つぶやき、再度階段を上ろうとしてダンの足は止まった。
 見上げると視界に銀色の髪が入った。
「セドルとの別れは済んだか」
「あぁ今ね」
 参加者のなかで、今まで通りに接してくれる数少ない人物の一人であるナフューは、軽くため息を吐いて壁にもたれた。
「これで俺たちの班は三名。まぁ他の所も似たような感じだが、上位二十組ぐらいはまだ完全状態。不利になっていくな」
「不利? なにがさ」
「さっき言ってたろ。まぁダン、アンタは無頓着だから気にしないのかもしれないが、周りじゃ結構噂になっているのさ」
「だからなにが?」
「終わり間際の特殊な試練。それこそが『時の選別』と呼ばれるものだってな」
「へぇ。で、なんなの?」
「詳しくはわかっていない。スエントは知っているようだが、喋りたがらないな。思うところありなんだろう」
「協力はしてくれないと?」
「どうかな。班で参加するとは言っていた。協力は向こうだって必要なはずだし、俺たちも必要になるだろう。まぁ刻が来ればってところか」
 ナフューが肩をすくめるのに対し、ダンは無言のままゆっくり階段を上がり、隣に立ってようやく口を開いた。
「不利でも、なんでもいいよ、今となっては」
「投げやりか」
「まさか。ただやり遂げるだけさ」
 憔悴しきった顔に、不敵な笑みを浮かべて答えたとき。
 ナフューはまぶしいものを見るかのように眼を細めた。
「アンタ……やっぱただもんじゃないな」
「そうかい」
「あぁ。あのときと同じだ」
「あのとき?」
「俺はあのとき、なにを感じたんだろうな」
 首を傾げ、本気で問いかけてくる。
 なに言ってんだ?
 呆れつつダンはため息混じりに答えた。
「ぼくが知るわけないでしょ」
「……そうだな」
 苦笑してナフューはダンへ近づき、肩を強引に掴んだ。
「なんだ」
「肩かしてやるよ。部屋に帰るの、まだまだ掛かりそうだからな」
「すまないぃ」
 そう言ったままダンは身体の力を抜き、べったり掴まって引きずられるように部屋へ戻っていく。
 ナフューの苦情を耳にしながら。
 
  ◇◇◇
 
 黄昏が迫るなか、署長室への出頭命令を受けたメーベルは、重厚な木目調の扉を睨んで声を張り上げた。
「四番隊、隊長ラカン・ジョワット・メーベル、お呼びにより参上いたしました」
「あぁ、入ってくれたまえぇ」
 意外と気の抜けた声に眉をひそめるも、メーベルは重い扉を押し開いていく。
 徐々に広がる視界は夕暮れ色で一杯になる。そのせいか、肝心の相手が逆光となって不気味にうごめいて見えた。
 まぁ元々そういう人ですけど。
 人物評を思い返すも、気にすることなくメーベルは豪奢な机の前まで進んだ。
 幾多の書類を整理しつつ、恰幅の良い白髪に白髭の署長、ホトカラ・カーン・ジョウクはメーベルを見ずに話しはじめた。
「今日は立て込んでてね、申し訳ないがこのまま用件を伝えよう」
「ええ、構いません」
「よし。まずは来月なのだが、ちょっとばかし不穏な情報が入っている。ベルネ工房の件だが、君の耳には入っているかね」
「たしか、反国家分子判定を迷っている、ぐらいですか」
 ガラス細工を主に扱うベルネ工房。作業員は五名と少ないが、希少価値の高い芸術作品を世に送り出す、優良な工房だ。しかし真石密輸絡みの事件で、この工房の名が取引先名簿に載っていたの機に、現在綿密な内偵が行われようとしているところだった。
「あぁ。迷っていたらしいんだが、確定しそうだ」
「黒、ということですか」
「可能性は高い。ただすぐには手を出せないのだ。アカンル王国の存在が邪魔でな」
 南の隣国であるアカンル王国とは、ここ数年大きな衝突もなく、王家同士や、交換留学生などで交流が続いていた。しかし昨年の秋頃から、南ユズラ山脈近くのコレント地方で領土紛争が勃発し、緊張状態が続いていた。
「あの国がどうか?」
「ベルネと本業の方で取引していたようでね、アカンルの王家が。それでちょっと及び腰なのさ。上の連中は」
「なるほど。では一番隊の内偵はどうしますか」
「あれはあのままやらせよう。とにかく証拠と、さらなる取引相手が誰であるのかを突き止めねばならん」
「でしょうね。で、ほかには?」
「そうだな。ネテラリィ一家の動向も気になるが、まぁ国家に関わる重大事にはならんだろう」
 それはそうでしょ。あれは街のゴロツキなのだから。
 眉をひそめつつ暴力騒動を起こす連中を思い返していると、ジョウクは手を休めて別件を口にしてきた。
「それと例の件だがね」
「アレですか」
 ジョウクを睨んで問い返すと、相手は苦笑して首を縦に振り、
「了承が取れたよ」
「そうですか」
 ほっと一息吐くも、内心では当然だと思っていた。そんな余裕が顔に出ていたのか、元々細い眼をさらに細めたジョウクが口元を歪めた。
「君も手を回したのだろう?」
「なにをでしょうか」
「私の一押しではこうも早く下りはしないからね」
 ばれている、わけね。
 悟ったメーベルは、肩をすくめて渋々認めた。
「まぁ、少しは」
「さすがは王家の剣と」
 その響きを耳にした直後、
「署長!」
 一喝して言葉を遮り、睨み見下ろす。
「な、なにかな」
 引きつった笑みを見て、メーベルは軽くため息を吐いて答えた。
「私はそんなものには頼りませんよ」
「……そうだったな。古の英雄、その血族は今やか」
 ジョウクは視線を逸らし、ゆっくりと回転椅子を動かして夕陽に染まる部屋を見渡しながら続けた。
「ふと、疑問に思うことがあるのだよ」
「なんでしょう」
「まぁその前に、君がそうまでして手元に置こうとする新人らは、有能なのかね」
「有能です。一人は未知数ですが、もう一人は確実に出来ます」
「狂いはない、ということか。だから特注したのかね」
「はい。彼ならば乗り越える、そう確信したからこそです」
「しかしやりすぎではないのかね」
「いいえ。乗り越えねば、なにもかも乗り越えねば、彼に未来はありません」
「命が消えてもか」
「ええ、命が消えても」
 即答にジョウクは眉をひそめるも、異を唱えはしなかった。
 代わりに真意を探る問いが来た。
「ならばその根拠は? 君の眼力を疑うわけではないが、今まで君がそこまで入れ込むようなことはなかっただろ」
 たしかになかった。自分から動いたことすらはじめてのことだ。
 なぜ私はそうまで彼に拘るのか……。
 瞼を閉じ、メーベルは己の心を再確認するかのように答えた。
「あのとき。あと少しでユトリアを仕留める、あの瞬間に見た光景が、彼を同じ者として認めた瞬間でした」
「同じとは?」
「同じ呪われた者として、魅入られた者として、私は彼を見ていたのでしょう。だから私を縛る、ウストカラベドが囁くのです」
 見えずとも、手元に出現する鎌の存在がわかる。
 そう、この鎌が。この力が。
 黒く長い柄を掴み、抱きかかえながらメーベルは続けた。
「人の心を見せ、人の運命を見せる、このウストが囁くのです。運命を変えろと、抗えと。だから私は動いたのかもしれません」
「運命の鎌か」
 ぼそっとつぶやいたジョウクは再度メーベルに向き直り、
「私はね。君ほどの者がなぜこの辺境と言えるベスタに、しかも守護警士の地位にいるのか常々疑問に感じていた。それもこれも、運命が囁くのかね」
「そうかもしれません」
 目を見開いての即答は、それ以上の追求は無用との意味を込めていた。だからかジョウクは小さく首を振り、
「わかった。もうなにも言うまい。たとえ六月の舞踏会でなにが起ころうとも。君の好きにするが良い」
 そこまで。
 最上級校合同の舞踏会『ジェッカーの宴』は、他国の生徒代表や賓客なども招かれる一大行事であり、現状の懸案事項である、シュベンターク帝国やアカンル王国の関係者も招かれる。
 それへ向けて、今の王都は密かになにかがうごめきはじめているのだ。
 やはり、あなたはわかっていらっしゃる。
 舞踏会の一件を持ち出すあたり、すでにメーベルの過去すら把握している可能性が高い。
 凡庸でいて柔和な署長として知られるジョウクだが、その裏には膨大な人脈と腹黒い意志を持つ。そんな彼がメーベルの過去を知れば、容易く真意へ到達するはずだ。
 それでも止める気はないのなら。私は自由にこの時代を舞うだけ。
 自分へ言い聞かせ、メーベルは微笑みながら答えた。
「ええ、そうさせてもらいます」
「……以上だ」
「ではこれにて」
 軽く会釈するなか、ジョウクの深いため息が聞こえてくる。
「君との探り合いは疲れるよ、まったく。もう少しは老人を労って欲しいね」
「ご冗談を」
「冗談ではないのだがなぁ」
 ジョウクは深々と椅子に座り直し、机にあった暦表を見てつぶやいた。
「もうそろそろか、時の選別も」
「はじまります。女神の選別が」
「彼らは選ばれると思うかね」
「それは愚問です」
 時代が彼を必要としているのですから。
 密かに心の中で唱え、メーベルは再度会釈してからウストカラベドを消去し、ジョウクの前をあとにしていく。そして署長室の重厚な扉を手に掛けたとき、小さく、ため息まじりにつぶやいた。
「彼だけが」
 もしかしたら。
 淡い期待と、翻弄される運命に思いを馳せ、メーベルは扉を押し広げていく。
 巨大な命運を一人抱え、時代の扉をこじ開ける、決意を秘めながら。
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