三章 新たなる絆 2

 
 卒業式は滞りなく終了し、講堂から出た者から各々の場所で歓声と涙声が上がっていく。
 そんな友情やら愛情の暖かい場面を一人、壁にもたれて微笑ましく眺めていたダンだが、ある集団を視界に捉えた途端、こそこそと壁沿いを這って逃げだそうとしていた。
「おいダン、なにしてる」
 背後からの呼びかけに、ダンはあわてて振り向き静かにするよう唇に指を当てた。
「で、どうしたんだ」
 声をひそめてくるユジーンに、すくっと立ち上がったダンは埃を払いつつ小声で答えた。
「ユジーン、君はわかっていて声をかけたな」
「ウララだろ」
「わかってんじゃねーか」
「君が醜くうごめくからさ。すぐわかる」
 呆れた風に肩をすくめたユジーンは、講堂の入り口近くで華やかな人だかりを眺め、
「まぁこれが最後だしな。伝説のジェッカーを拝んでおく、という気持ちはわからんでもない。今後、彼女が新たな伝説の人物となってみろ。末代までの自慢となるだろうよ」
「なるさ。ぼくにだって」
 口にした途端、苦い剣術大会の記憶が脳裏を過ぎる。
 あぁ全然、自慢にならねぇ。
 がくっと肩を落とし、さわやかな青春の一場面から目を逸らした。
 そんなダンの微妙な心情を知り尽くしていながら、ユジーンは勧めてきた。
「ダン、君も最後だろ。挨拶ぐらいしておいても良いんじゃないか」
「それはぼくに死ねと、言っているわけですね」
 嫌みを込めて馬鹿丁寧な口調で返すも、ユジーンは鼻で笑い、
「おいおいダン。まだ気にしているのか」
「気にするだろう、普通」
「向こうは気にしてないかもしれん。第一、すでに終わったことだ」
「終わってるけどさぁ」
 蘇るあの言葉。
『最低だ』
 すれ違いざまに囁かれた言葉は、今も夢の中に出てきてはダンを苦しめている。
 終わったことだと、片付けるにはまだ冷却期間が必要だった。
「やっぱまだ、ぼくのなかでは終わってないよ、ユジーン」
「難儀な性格だな、君は」
「あぁ難儀なんだ」
 苦笑して答え、ダンはユジーンを見据えて仕切り直した。
「ともあれ卒業だ。ユジーン、君との腐れ縁もここで最後だな」
「そうなるな。君が進学できるわけがないからな」
「言ってくれる。でもまぁ今日は腹も立たないね。なにせ最後だから」
 ダンは見よう見まねで、右拳を左胸に添えるゴーズダリアン王国様式の敬礼を取り、
「さらばだ、ダダン・ドッガ・ユジーン。ぼくの悪友よ」
「あぁさらばだ。最後までお堅い平民よ」
 互いに微笑んで別れ、学生らの人波へユジーンの姿が消えていく。
 ほんと、変わった奴だったぜ。
 自分のことを棚に上げ、微かな寂しさを覚えるも寮へ向かう……その最中にダンは寮生らに見つかり、もみくちゃにされつつ別れの挨拶を繰り返し、最後の宴へ連れ出されてしまう。
 そして終夜騒いだのち、学生寮へ別れを告げたダンは一端実家へ戻ることになる。
 同じセミサ市にありながら、ダンは一年に一回ぐらいしか戻っていなかった。
 だからか、甥っ子と姪っ子からは猜疑心の眼を向けられ、兄からはゲンコツの一撃を食らい、母からは小言が山のようにくる、そんな里帰りして一週間。
 ダンは兄の経営する飲み屋を手伝い、ときには甥っ子と姪っ子の遊び相手を務め、近所の旧友と語らい、母と兄嫁の手料理をたらふく食った。
 深夜には一応筆記試験の勉強もしつつ英気を養ったダンは早朝、母に見送られてセミサ市のコロンネクロ駅に出向くと、
「遅いんじゃないのぉ」
 数人の女性に抱きつかれたナフューがすでに待っていた。
 彼の痴態に呆然とするも、ダンは着実に王都中央アルタント行きの切符を買い、女たちと涙の別れをするナフューをドムフに引っ張り上げ、今度こそ失敗しないようにと祈りながらダンとナフューは学生時代を過ごしたセミサをあとにしていく。
 
  ◇◇◇
 
 守護警士資格試験の受験者数は、毎年五○○○人前後と言われている。
 今年もその数に見合うだけの人だかりが、試験会場である闘技場にひしめき合っていた。
 お陰で、ダンは見事にナフューとはぐれた。
 午前中にあった簡単な筆記試験を隣の講堂で済ませたあと、ぞろぞろと模擬戦試験の会場へ移ったあたりで見失ったのだ。
 まぁ仕方ないか。この番号じゃなぁ。
 会場で渡された番号を見て、二人して首を捻ったものだった。
 ナフューは二千番台だが、ダンが手にした番号は五〇二五番。今年の受験者数が五〇二五人なので、一番最後の番号がダンとなる。ということは、一斉にやる筆記と違って順々に試合をこなしていく模擬戦では、かなり遅くはじまることになる。
 試合会場は八つかぁ。それでも夜ぐらいにはなりそうだな。
 剣術大会時に使った円形の舞台はすでになく、四角く分割された舞台が八つあり、それぞれの番号が割り振られていた。
 で、ぼくの会場はと。
 受験番号票に書かれた第八会場の文字を確認しながら、人混みのなかを突き進んでいたときだ。
「わ、わ、うおっとぉ」
 正面から危険な響きが聞こえ、茶色い髪を見た直後、ダンはまともに衝撃を食らっていた。
 しかも顎へだ。
 一瞬にして視界が淀み、身体の力が抜けて後ろへ倒れるも、人混み故に雑に扱われたダンはその場に崩れ落ちた。
 な、なんだ。一体。
 意識はすぐに回復するも身体が思うままに動かないなか、眼前に未だ茶色い髪があることに気付いた。
 こいつか。見事な頭突きをかましたのは。
 あまりの衝撃になぜか賞賛する思いを抱きつつ、ダンは痛む顎を押して声を掛けた。
「あの、すいませんが退いてくれません?」
「うー。痛いの」
 それはこっちもだ。
 言いたくも言えない状況下で、ようやくダンの上にのしかかっていた身体が起きあがっていく。
 頭を押さえた少女らしき人物は、碧眼の瞳でダンを見下ろすと、
「あのぉもうすこし前を見たほうがいいですよ」
 お互い様だろ。
 などと思いながらもダンは謝った。
「申し訳ない」
「そうですよ、まったく」
 短めの茶髪を揺らし、少女は腫れ物をさわるかのように頭部を両手で探っていく。
「あぁでっかいたんこぶがぁ」
「ま、まぁこっちも顎にですね」
「顎が硬すぎますよ」
「そ、そうですか? そっちの頭も意外と硬い気が」
「ならさわってみますか、このどでかい証拠を」
 むすっとした、薄いそばかすが特徴的な顔が近づいてくる。
 ち、近、ってそうじゃないだろー。
 妙な展開にダンは顎の痛みも忘れて声を上げた。
「わかった、わかったからまずは退いてくれ」
「あら? あらあら。まぁ私ったら殿方を押し倒して……これはう、運命。うへへ」
 うへへじゃねー。
 ヨダレを垂らしかけた顔を見た途端、危機感が力を呼び起こし、ダンはおもむろに身体を回転させて身を起こす。もちろん危険人物を跳ね飛ばしてだ。
「なぁにするんですかー」
 尻餅ついた格好でぶーたれた少女を見下ろし、ダンは手をさしのべつつ答えた。
「なんか、ものすんごい危険を感じてね。身体が勝手に動いてしまったのだよ、いやはや申し訳ないね」
「危険ですか。それなら仕方ないですなぁ」
 まったく疑うことなく、というより自分のことを意味しているなど、気付いてないらしい少女は、差し伸べた手を掴んですくっと立ち上がると、急に目を見開いて口走った。
「いけない、もうはじまる」
「なにが?」
「ちーたんの試合がですよぉ。あの子、私が見てないともう危なっかしくて」
 それは君のほうじゃ。
 思わず言いそうになる言葉を飲み込んだダンは、
「なら急ぐんだね。今回の件は互いの不注意ってことで」
「ですねー。じゃまたね、運命の人」
「違う、そこ激しく違う!」
 否定するも、薄緑色の学生服を着た少女は軽やかにダンの前から去って行く。しかし見続けていると時折、人に当たっては謝罪する、そんな姿を見せながら。
「ありゃ難敵だな」
 ぼそっとつぶやいたダンは、依れた学生服を直し、埃を払おうとして手が止まった。
 これって。
 屈んで手にした受験番号票を確認し、握りしめていた自分の受験番号票を見て眉をひそめた。
 あの子のか。
 書かれた名はデア・グッド・ポエトラ。どうやらダンと同じ、今年上級校を卒業した受験者らしい。
 ポエトラね。たしかにぽわんとしてるよ。
 微笑んでとりあえず仕舞おうとした、そのとき。
 ダンの目は見開かれ、手にした受験番号票が微かに揺れていく。
 五〇二四番。まさかぼくの対戦相手?
 妙な調子に狂わされた先ほどの悪夢が過ぎる。
 やりにくいぞ、あれは。……って待てよ。
 もう一度番号を確認し、自分の番号を見てみる。
「五〇二五。もしかして余りか」
 模擬戦は順々に行われていく。ほぼ六三〇人ずつ別れた試合会場で、唯一第八会場だけが均等な人数ではなかった。
 戦う相手が誰なのか。
 非常に嫌な予感を覚えつつ、ダンは重い足取りで最後の会場へと向かっていった。
 
  ◇◇◇
 
 すでに夕暮れも終わり、夜のとばりが下りはじめる頃。
 未だダンは試験会場から宿へ戻れずにいた。
 長いな、やっぱ。
 ぐったり長椅子にもたれて、第八会場で行われている試合を眺める。
 左隣では大あくびしたナフューがうとうとしはじめ、右隣ではなぜか惰眠をむさぼるポエトラがダンに寄りかかってきている。
 どうにかしようと思ったが、申し訳なさそうなポエトラの親友、ノノン・カース・チサラの頼みによってそのまま寝かせていたりする。
 なんだ、この緊張感の無さは。まだぼくは受かってないんだぞ。
 それを言うならポエトラもだが、どうも心臓が鋼で出来ているのか、のほほんと眠りに入っていた。
 あれから、ポエトラの受験番号票を第八会場にいる実行委員に渡そうとしたのだが、顔と名前が一致しないやら、どうせこの会場に来るだろう、とかの大雑把な理由で受け取らず、結局チサラに付き添われてやってきたポエトラへ手渡しすることになったのだが、すでにその時点で泣きじゃくっており、涙と鼻水まじりの顔を胸元に押しつけられ、ダンの学生服はかなりぐっちょりになったというのが事の顛末。
「ほんとうに申し訳ありません」
 チサラが平謝りし、なんとかポエトラを落ち着かせて、とりあえずの解決を迎えたのが昼飯を食い終わったあとあたり。それからずっと今のような待ち状況が続いている。ちなみにナフューはポエトラとの騒動後にふらっとやってきて、見事合格したことをさわやかな笑顔で報告してきていた。
 こんなので、ぼくは受かるのか。まったく。
 不満一杯であるが、なんとなく無下にも出来ないダンは、まったりとした同伴者に囲まれたまま試合を観戦していた。
 模擬戦の基本は、ほぼ剣術大会と変わらない。ただし勝ち負けは関係なく、手にする武器も木剣、もしくは真石を用いた真術、そのどちらか一方、または両方を選択して戦いへ挑むことになる。
 剣術と真術、どちらが有利とは言えず、しかも相手を倒したからといって合格するわけではない。そのあたりは試験官の判断がすべてに見えた。
 なにが基準なのやらわからんが……姿勢だろうかなぁ。
 互いに消極的な姿勢を見せた試合はどちらも不合格となっていた。だからといって猪突猛進の受けがいい、とも言えないのが今まで見てきた結果だ。
 まぁやるしかないのだけど。遅いよなぁ。
 緊張も長引けば慣れてくる。
 これじゃダメだと思い直し、自らを鼓舞して気力を上げても、徐々に萎えてくる。
「ぼくはいつになったら」
 思わず口をつく不満に、横合いから返事が来る。
「どうやら動くようですよ」
 囁くような声に、ちらりチサラを見た。ポエトラの親友とは思えないほど落ち着き払った態度に、短めの黒髪をうなじで纏めた少女は、優しげに微笑んで会場を指差した。
 ダンは緩慢な動作で会場へ向くと、そこでは数人の試験官が話あっていた。
「なんでしょうね」
 あくびの衝動を抑えながら答えたとき、あたりに真石拡声による声が伝わった。
「えぇ刻間も押して参りました。よって遅れている第八会場の受験者は、他の受験会場に回っていただきます。呼ばれた順に指定された会場へ向かってください」
 あたりがどよめきに包まれるも、お構いなしに淡々と番号が読み上げられていく。
 やることが遅いなぁ。
 早めにやっておけよ、と思うも口にせず深くため息を吐くと、
「怠慢ですよね」
「え、ええ、そうですね」
 チサラの謗りに妙な違和感を覚えつつ同意するなか、彼女はすくっと立ち上がり、未だすやすや眠るポエトラの頭を的確に二回叩いた。
「さ、起きようポエ」
「うぅん、頭がぁ」
「気にしない、気にしない。そろそろ出番が来るよ」
「でぇ、でぇばぁん?」
 ぼやけたポエトラを肩に担ぎ、チサラは軽く会釈して読み上げている試験官の近くへ移動していく。
 そんな様子を呆然と見送ったダンに、傍らから声が掛かる。
「結構、裏表の激しそうな子だったな」
「た、たしかにな。って起きたのか」
 振り返った先では、すでに立ち上がったナフューが会場を睨んでいた。
「あれだけおしらせされたら眠気も吹っ飛ぶ。それよりかダン、動くべきだ」
「は?」
 わけわからずにいるとナフューが会場を指差し、
「ダン、五〇二五番は呼ばれてないぜ」
「……うっそ」
 あわてて会場を見ると、ポエトラとチサラが手を振って別会場へ向かっていく。ということは五〇二四番は呼ばれたわけだ。
「ちょ、次はぼくでしょうが」
 なんの音沙汰もない真石拡声へ愚痴りながら通路に飛び出て、猛然と試験官へ詰め寄った。
「あ、あのぼくまだ呼ばれてないんですが」
「ううん? 何番だね」
 少々厳つい顔した試験官へダンは受験番号票を手渡す。
「五〇二五? ……あぁこれね。君の担当はあっちだ」
 会場の反対側を見た試験官につられ振り向くと、青い服を着た一組の男女が舞台へ上がってきた。
 あれって。
 首を傾げるダンへ、
「さぁ君の番だ。選びたまえ」
 試験官から木剣と真石を提示され、ダンはしきりに記憶を辿りながら木剣を取り、舞台へ上がっていく。
 そして近づくにつれ、ダンは目を見開くことになる。
 二人ともあきらかに学生ではない。年齢が、ではなく着ている服がまったく学生じゃなかった。
 ありゃ守護警士じゃないの。
 しかも二人だ。
 ざっと見て、もじゃもじゃした頭髪姿の男が木剣を手にしている以上、相手は彼なのだろうが、なぜ二人いるのかがわからなかった。
 彼女、審判なのか。でもなぜ守護警士が……。
「どうして」
 疑念が口をつくダンに構わず、黒髪の女性守護警士が微笑んで声を掛けてきた。
「ごきげんよう、ジェスラさん」
「あ、はい。ど、どうもはじめまして」
 疑念に囚われ、緊張も頂点に達していたダンがどもって答えると、瞬く間に彼女から笑顔が消えていく。
「はじめまして?」
「は?」
 寒気を感じて聞き返したダンは、改めて女性守護警士を見た。
 薄い唇に高めの鼻梁、そこへ黒く切れ長の瞳がダンを睨んでいる。
 え?
 誰しもが認める気品と美を持つ女性であるが、そんな人物などダンの知り合いに居るわけがなかった。強いて言うならウララぐらいだが、彼女が親しげな挨拶をしてくるはずもなければ、眼前の美とはまた別の次元にあるように思えてならなかった。
 で? 誰だ。
 未だ首を傾げるダンに、対戦相手の男が堪えきれずに吹き出す。そこへ女性守護警士の涼やかな声が響いた。
「ホージィ守護警士」
「はっ。申し訳ありません」
 睨まれた男、ホージィがあわてて敬礼を取ると、女はさっさと説明をはじめた。
「あなたはこのダメ男で最低な守護警士、ホージィと戦ってもらいます。いいですか、今回の結果如何であなたの合否を確定します。よろしいか」
「え、あ、はい」
 よろしいか、と聞くがすでに舞台は整っている。
 よろしくない、なんて言えるかよ。
 などと思うも決して口にしないダンであったが、ふと気になって問い返した。
「ところで筆記は?」
「あれは気休め。あとから覚えれば良いのです。現実はつねに命のやり取り。今はどの程度できるのかが主題です」
「はぁ。なるほどぉ」
 納得しつつ、ダンはダメ男と対峙してみる。
 どの程度ねぇ。どの……って相手は守護警士。最低でも守護警士。え?
 状況をようやく理解したダンが、対戦相手へ探るような視線を向けたとき。
「では、はじめてください」
 淡々とした開始の声が聞こえ、眼前の男がゆっくり木剣を中段に構えた。
「さて。ダメ男で最低な俺様が手合わせしてやるよ、少年」
「よ、よろしく」
 答えながら木剣を脇に構えて出方を見るダンに、ホージィは豪快に笑って吠えた。
「おめぇそれじゃダメだわ」
 呆れた声に眉をひそめた、直後。
 来る!
 相手の身体が膨らむような錯覚を覚え、ダンは木剣を握る手に力を込めた。
 中段のまま勢いよく飛び込んできたホージィの剣先を、ダンは直前ではじき返すも、すぐさま敵の二撃目がやってくる。
 しかも予想外の軌道を描いてだ。
 なんで。
 突然すぎて考える間もなく、身体だけが動いていた。
 ホージィは右手だけで木剣の突きを放ったあと、空いた左手で腰に差した小剣を抜き放ち、ダンの胴目掛けて切り込んできたのだ。
 あり得ない攻撃に避ける間もなく、ダンは木剣を迫り来る小剣へぶち当てる。
 しかし一瞬の抵抗を感じたあと、握る木剣の重さがまったく感じられなくなる。
 ダメだ。
 すべてが終わる瞬間、ダンはのけぞったままその場に崩れ落ち、
「わ、わ、ちょ、やめてぇ」
 情けない声を上げながら這うように距離を開けたダンは、外の試験官を見やり、
「あ、あれないっしょ、あれ」
 ホージィを指差すも、相手は無言で呆けていた。
 そんな状況下で、ようやく審判の声が轟いた。
「そこまで!」
「え?」
 呆然とするダンに構わず、女性守護警士は剣を収めるホージィへ話しかけた。
「どう。感想を聞かせて」
「あぁ。ダメだな。ダメダメ。まったくダメだ」
 連続のダメ出しに、目の前が暗くなる。
 この展開はぁ。
 落第の通知が告げられることに繋がってしまう。
 い、いや、まだだ、まだだダン。不正があったと実行委員にぃ。ってその前に試験官を説得か?
 などとめまぐるしく思案に耽っていると、
「とにかくダメだ。あれは鍛えなおさねーとダメダメだ」
「なるほど。それじゃ認めるのね」
「うわ、嫌だね、なんとなく。認めたくない。でも認めざるを得ない。あぁ嫌な感じ」
 二枚の出っ歯を突きだして吐き捨て、大股でダンへ近づたホージィがさらに吠えてくる。
「いいか、ダン。おめぇはダメダメだ。しかしもう一度俺様の前へ来ることが出来たら、弟子にしてやる、わかったか!」
「そ、それは」
「なんだ、嫌だってのか」
「いえ、まったく、いや喜んで。え、でも」
「でもじゃねよ、つーかはっきりしねぇ奴だなぁ」
 呆れて口をへの字に曲げるも、すぐにホージィは押し黙ることになる。彼の首元に、いつの間にか巨大な鎌が背後から突きつけられたのだ。
 うっそ。
 音もなく出現した鎌を見ながら、ホージィはゆっくり振り返って何度もうなずくと、一歩一歩鎌から離れるように下がっていく。代わりに、黒く長い柄を軽々と担ぎ、巨大な刃を背後に回したもう一人の守護警士がやってくる。
 あきらかに真術付与が施された鎌だ。
 そんな鎌を持ち、それでいて恐怖の女神とも言える姿を見て、ダンはようやく相手が誰であるか思い出した。
 凄腕の、あの人か。
 これほどの上玉ならばそう簡単に忘れないものだが、あのときの記憶はすべて『最低だ』の囁きが占めていた。
 仕方ない。とりあえず挨拶から。
 腹を決め、ダンは立ち上がって軽く頭を下げた。
「ど、どうも、お久しぶりです」
「今頃ですか」
 一日前ならまだしも三ヶ月以上経ち、より鮮明な記憶があるなかで、ちょっとした出会いを思い出すのは至難の業というものだ。なのに相手は妙に不満顔であった。
「なんだか私一人が……まぁ良いわ」
 小さくつぶやき、メーベルは咳払いして続きを口にした。
「それよりもダン、あなたには迷いが見えます」
「迷い、ですか」
「ええ。なにがそうさせるのか、私にはわかりませんが。その迷いを捨てたときこそ、ダン、あなたの真実が見えるでしょう」
 真実? 迷いを? それって。
 思い当たる節はあった。
 師匠の言葉であり、ユトリア戦ではじめて体験した一瞬の硬直だ。
 ぼくの迷い、だってのか。それが本当だとしたら、ぼくは。
「どうすればいいと、思いますか」
「答えはすでに示されたと、私は思いますよ」
 微笑んで答えるメーベルに一時見惚れたダンであったが、じわじわと消えていく微笑みに緊張感が高まっていく。
「まぁその点は追々気付いてもらうとして。ダン、ちょっとお聞きしたいことがあります」
 くるっと鎌が周りはじめたのを見て、ダンは唾を飲み込んでなんとか声を出す。
「な、なんでありましょうか」
「ええ、すこし。そう資料には、いえ、それはどうでも良いのですが」
 少々視線を彷徨わせるも、意を決したかのような睨みが来た直後、いきなり鎌の刃が首元に突きつけられる。
「さきほどまで、なにやら親しそうな雰囲気を満喫していたようですが。あれはなんでしょうか」
「し、親しい?」
 聞き返すダンの首元に刃が少し食い込んだ。
 うわ、本気じゃぁ。
 一気に悟り、緊張でバラバラになりかけていた記憶をかき集め、ようやく肩にべったり寄りかかって眠りこけたポエトラの存在を思い出した。
「あ、あれはまったく親しくないですよ。ええ、今日会ったばかりで、名前ぐらいしか知らない……」
 あわてて答えているうちに、ダンは首を捻り付け足した。
「で、それがなにか?」
「べつに。なにも。ええ、まったく意味無いわ。ほんとに」
 一気に言い切り、鎌を下げるメーベルであったが、最後に小さくつぶやいた。
「そうか、あれがポエトラ」
「え?」
「気になさらずに。ええ、本当に」
 メーベルは眉をひそめ、考え込みながら背を見せて去りはじめる。
 なんだったんだ一体。ほんと変わった人……でもこれで。
 すべてが終わったことにほっと一息吐き、へたり込もうとした瞬間。
 ってちょっと!
 冷静になってようやくダンはあることに気付いて声を上げた。
「メーベルさん、ちょ、ちょっと待ってください」
「なにか」
 黒髪を揺らして半身だけ振り返る。その顔に微かな笑顔を見るも、自分のことで必死すぎたダンは、笑みの意味を悟ることなく事務的な内容を口にした。
「すみませんが、ぼくの合否は?」
「あぁそれ」
 ため息混じりに答え、瞑想するかのように思案したメーベルは、
「ま、当然か」
 肩をすくめ、微笑みを再度浮かべて続けた。
「合格ですよ、ダン。おめでとう」
「本当ですか」
「ええ。でもまだ試練は続きますけどね」
「し、試練ですか」
「そう。誰しもが通る最後の試練である『時の選別』を乗り越えた者だけが守護警士となるのです」
 時の、選別。
 へたり込もうとした身体に緊張が舞い戻り、顔が強張っていく。
 そんなダンを見てか、メーベルがくすっと笑ったあと、背を見せながらささやかな声援を送ってきた。
「あなたが再び私の前へ来る日を、楽しみにしておきますよ」
「は、はい」
 彼女の言葉がなにを意味しているのか。
 ダンは首を傾げつつも、ただ敬礼してメーベルを、その付き添いで消えていくホージィを見送っていく。
 彼らの存在が、どのような結果をもたらすのかもわからぬままに。
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