二章 分相応の実力 1

 
 この世は『真石(ゼスラ)』がすべて、と言って良いほど『力』を持つ石が重要な位置を占めており、ありとあらゆる技術や製品に真石は関与している。
 そのなかでも真石を動力に使った大型搬送車『ドムフ』の開発は、世界の交通手段を一変させ、移動に掛かっていた時を大幅に短縮することに成功した。なにしろセミサ市から王都中央へ出向くだけでも歩きで一日、四足歩行動物のクーバルに乗って反日かかっていたところを、経った三刻間で結ぶことが可能となったのだ。
 しかしそれも最近の話であり、王都東端のセミサに住む平民ダンがドムフの恩恵を得ることなど、あと数年は無いものと思っていた。
 だからか。
 剣術大会前日に悲劇は起こった。
「見事に、夜だ」
 薄曇りの空を見上げ、ダンは二重、三重に着込んだ外衣のなかで身震いする。
 その隣で、これまた同じく外衣を着込んだナフューが白い息を夜空に吹きかけて微笑んだ。
「冬の夜空か。結構良いもんだ。そう思わないか、ダン」
「思わないね」
「は、早いね否定が」
「当たり前だ。夜空など、夜空などぉぼくの計画にはなかったのだから!」
 吠えたあと、警備兵の咳払いが聞こえ、軽く平謝りしてからダンは荷物をまさぐって地図を取り出す。駅の真石外灯を頼りに地図を広げ、赤い印を示した宿の位置を確認する。宿まで歩いて半刻ほど。その道筋を確認しているところへ、またもナフューの脳天気な声が響いた。
「しかし、なかなか良い旅だったよ」
「良い、旅?」
 眉をひそめるダンに構わず、ナフューは続けた。
「あぁ。そう簡単には味わえない旅だ。やはり君と来て正解だったね」
「正解って。一文無しになってもかい」
「あれは……しかし貴重な体験であることに代わりはない」
 何度もうなずくナフューの姿は、心うらはらな自身へ言い聞かせている風に見えて哀れであった。
 無理しちゃって。
「貴重すぎて二度と体験したくないよ、ぼくは」
「おぉ同感、ってそれはないだろ、ダン」
「大ありだ。お陰でぼくも文無しだぞ、まったく」
 文無し、それが悲劇の正体だ。
 ことのはじまりは、貧乏生活故の発想からだった。
 宿代を一日浮かせようと『第三五五回新春学生統一剣術大会』前日に王都中央区入りを画策しているところへ、ダンの一件以来、他の五剣士とギクシャクした関係を続けるナフューが同行を提案してきた。
 ナフューに対し、少しばかりの恩義と後ろめたさを感じていたダンは同行をあっさり認め、顧問付きで先に出発した三人とは別にダンとナフューは計画通りに今朝、王都中央区行きのドムフに乗り込んだ。
 そこまでは順調だった。
 しかし問題は急激に、続々と降りかかって来た。
 乗り込んだドムフが三駅目で動力部から火を噴き、あえなく車庫行き。
 仕方なしに乗り継ぎを探すがすぐにはなく。一刻間待ちしてようやく来たドムフに、しびれを切らしたナフューがさっさと乗り込む。ダンもあわてて続き、ほっと一安心して座席に深く沈んだまではよかった。
 最大の問題はここからだ。
 徐々に景観が変わっていく車窓を眺めていたナフューが、
「すまないダン。ちょっとヤバイ」
 引きつった笑顔で囁いてくる。
 小首を傾げたダンであったが、しばらくしてどっと脂汗が出てきた。
 違うじゃん!
 運転手に確認したら南部ホロトロイ行きであるという。しかしその時点ですでに王都を出ており止まる駅も当分無かったため、運転手に頼み込んで道ばたに途中下車。一番近い王都南端のナタハンへ歩いて向かう最中に、
「ダン、こいつぁ凄いぜ」
 吠えたナフューにもう勘弁と思いつつ振り向くと、空っぽの鞄をひっくり返した笑顔の男がそこにいた。
 どうやら運転手と交渉中に、他の乗客に中身だけ盗まれたらしい。
 天を仰ぎたくなる不運のなか、昼を過ぎたころにナタハン入りし、駅の相談窓口へ駆け込んで状況を説明するも話にならず、ナタハンの警邏署に被害届を出すだけで終わってしまう。
 結局、ナフューの荷物は帰ってくることなく、ダンの財布全額を使って二人分の切符を買い、再度王都中央区を目指すことにしたのだが、乗ったのが鈍行の王都西回り経由のドムフであったのが、さらに旅を長くさせてしまった。すでに乗りかえる気力もなかった二人は、疲れと空腹を紛らわせるため眠りに眠って目的地、アルタント駅に到着したのがつい今し方である。
 これのどこが良い旅なのやら。
 ナフューの常識を疑いたくなるが、疑うだけ無駄だ。彼自身、わかっていて無理をしているのだから。
 ダンはため息を吐き、地図を仕舞いながらナフューを軽く睨んだ。
「とにかく、ぼくたちは文無しだ。今後どうするか頭痛いね」
 宿代などは顧問にまとめて前払いしているが、帰りの駄賃が問題だ。顧問の財布も、精々一人分の運賃が余分にあるくらいと見て間違いない。
 しかしナフューにはあまり危機感がない。
「たしかに無いのは痛い。でもダン、なんとかなる可能性はあるさ」
 大会での賞金だ。
 道中そのことばかりナフューは口にしていた。
「それ、勝てばだろ」
「勝てるって。君はあまり目立ちたくないようだけど。手はある」
「ナフュー、ぼくは君の案だけには乗りたくないね」
「まぁまぁ。べつに優勝しろ、とは言わん。俺に任せてくれ、ダン」
 今日の失敗が脳裏を過ぎるも、優勝が別となれば興味も湧いてくる。
 この際、ぼくが守らなければならない掟を伝えておくか。
 ダンが答えようとしたとき。
「君たち、選手かな」
 柔らかい響きが二人を一斉に振り向かせる。その先には長い黒髪の女性が微かな笑みを浮かべていた。
 へぇこれはかなりの……。って。
 顔を品定めし、結果を出そうとしたまでは余裕があったが、彼女の服装に気づいてからは心拍数が徐々に高まっていく。ナフューはと言えばさらに血の気が引いていた。
 目の前の女性は、見た目ではダンらと変わらない学生にも見える。しかし着ている白い外衣と青い服、さらに額当ての赤い真石が彼女の存在を指し示していた。
 守護警士じゃないか。なにかヤバイことでも。
 いろいろと考えを巡らせてダンは気付いた。
 もう夜更けだ。しかも外衣を着込んでいるとはいえ学校名入り。学生であることはモロばれだった。
 こりゃ説明した方が。
 などと思い巡らしていると、ナフューが直立不動の姿勢を取って口を開いた。
「はっ、我々はセミサ上級校の五剣士が一人、テオ・マーク・ナフューと、こちらがジェスラ・ババンギ・ダンであります」
「セミサの学生か」
 短く答えた守護警士から微笑みがかき消え、切れ長の瞳を細めた。
「ならば早く帰ること。中央と言えど、夜遊びは危険。おわかり」
「はっ。ご忠告、肝に銘じます」
 即答したナフューが肘で小突いてくる。続けと言いたいらしい。
 なんなんだ、一体。正直に言えば良い物を。
 眉をひそめつつ、ダンは軽く会釈してから話しはじめた。
「いやぁそれがぼくたち、今し方着いたばかりなんですよ。ま、貧乏根性で大会前日にと考えたのがぁ」
 そこまで言って、脇腹へ来た衝撃に押し黙ってしまう。
「申し訳ありません、以後、気をつけます」
 ナフューの弁に、守護警士は小さなため息を吐いてうなずいた。
「では、早く帰るのですよ」
「はっ、了解しました」
 はきはき答えるナフューを一瞥した守護警士は、ダンを見て付け足してきた。
「優勝できるのなら、しておくことです」
「はぁ。まぁできるだけ」
 謙虚を通り越したやる気のない答えに、再度脇腹へ衝撃が走る。
「変わってるわね」
 微かな笑みを浮かべた守護警士に、路上で待っていた黒い小型の真石動力車『ドーマ』から合図が来る。彼女は早く帰るよう念押ししたあと、迎えのドーマへ乗り込み瞬く間に駅から去っていった。
 残された二人は、ぼけっとしたまま見送っていたが、いち早く脇腹の痛さから現実に戻ったダンが口を開いた。
「さて。聞かせてもらおうかナフュー」
「なにをかなぁ」
「たとえ守護警士相手でも甘い言葉を囁く君が、どうしたんだ?」
「ダン、俺にも常識はあるぜ」
「それは初耳だ。ともあれ、なにに怯えたんだ?」
「怯えね。仕方ねぇなぁ」
 ナフューは肩をすくめ、思い出すかのように瞳を閉じて語りはじめた。
「あれは俺がまだ幼年学校時だったかなぁ。そう四年前、卒業する年の剣術大会。俺は親に連れられて観戦しにきたんだが、見ちまったんだな。あの鬼をよ」
「それが、今の守護警士と」
「あれだけの上玉だ、見間違えるわけがない。名をラカン・ジョワット・メーベル。今は王都西端ベスタの守護警士。巨大な鎌を扱う姿から『ベスタの美しき死神』とも言われているらしい。噂じゃもう隊長になっているとか。凄腕だぜ」
「凄腕ね」
 対峙して緊張はしたものの、そこまで怯えるほど鬼気迫る感じはしなかった。むしろ、厳しいお嬢さん程度だろうか。
 知らないから、かねぇ。
 などと分析していると、呆れた風にため息を吐いたナフューが睨み、
「凄腕なんだよ。ほんと無知は怖ぇよ」
「はいはい、どうせぼくはなぁにもしらない田舎者ですよ。で、そんな田舎者から質問ですが、なぜベスタの守護警士がここに?」
「そんなもん、わかるわけないじゃない。仕事だろうが。……まぁ強いて言うなら、明日大会があるぐらいか」
「大会ね。そこまではわかるさ。でもそこからがイマイチ」
「イマイチか。まぁここからは俺も推測でしかないが、聞くかい」
「もちろん。で、なにさ」
「俺たち、セミサの学生だろ?」
「うちの学校がなにさ?」
「ほら、五剣士のなかに居るじゃない、とびっきりなのが」
 あぁウララか。
 飛びっきり、という言葉に浮かんだのはウララの笑顔のみ。というより、セミサで重要人物となれば、彼女ぐらいしかあり得なかった。
 しかし彼女がなんだ?
 小首を傾げつつダンは答えた。
「居ることは居るが、だからなにさ?」
「おいおいダァン、まさかマジ?」
「マジだ。よくわかってない」
 するとナフューは、視線を逸らしてしばし押し黙った。
 そして一拍後、軽く深呼吸してから喋りはじめた。
「まぁ仕方ないのかもしれない。その点は皆、口にしないからさ。しかしもう知っておいたほうがいいだろう」
「その前振り、重たそうだな」
「少々ね。あと、知っても急に態度を変えるなよ」
「態度?」
「彼女にさ」
「……ぼくはあの一件以来、口聞いてもらってないんだが」
「その点は俺も同じさ」
「さらに言えば、あの一件前も別段、話したこともないんですが」
「……そうか。なら杞憂ですな」
「杞憂ですよ」
「ま、そうであってもだ。彼女に同情は禁物だ」
「同情?」
「あぁ。ウララはな、たしかにジェッカー一族の一人だ。しかし彼女の家系は傍流なんだよ」
「それってつまり、えーっと」
 理解がはじまる前に、ナフューは畳みかけた。
「おかしいと思わなかったか。あの英雄ジェッカーの孫が、なぜ王都東端の片田舎で暮らしているのか。まぁそれでもうちらのなかじゃ段違いだし、氏族としてちやほやされる家柄ではあるが。それはセミサだからこその話だ」
 おぼろげながらではあるが、ダンにも見えてくる。
 疎外されているわけか、彼女……でも。
「それとこの大会。なにがどう繋がる?」
「簡単だ。ジェッカーには直系がいる。しかもウララと同性で同級のジェッカー・ローズン・ユトリアが。こいつが今大会に出ているのは間違いない」
「できるってわけ?」
「そんなもんじゃねぇなぁ噂だと。しかも血筋に誇りを持った超強気なお嬢さまだとさ」
「なるほどね。一波乱ある、感じですか」
「木剣を使う試合でも、マジでやり合う可能性がある。だからこそ、強力な手札を手元に置いておきたい、ってことでメーベル様登場、ってところじゃないかと、まぁ俺の推測だけどさ」
 そこまでわかっているのなら、間違いじゃないと思えてきた。
 こりゃ嫌な展開になりそうだ。……まぁその前に。
「わかったよ、ナフュー。話してくれてありがとう」
「いえいえ」
「しかし君の話は忘れることにするよ」
「うわ、それってないんじゃないの」
「そうでもない。忘れて考えもしなければ、同情もしないし気に病むこともない」
「そりゃそうだが」
「というより世界が違うね、世界が。君は氏族だから仕方ないにしても、ぼくは平民ですからねぇ。接点なんてこれからもないない」
「まぁそうかもなぁ」
「今回の件、事が起こればまったり眺めるとするさ。それよりも我々は今日最大の試練を乗り越えねばならないだろ」
「……だな」
 肩を落としてうなずくナフューを尻目に、ダンは一歩を刻みはじめる。
 向かうは今日から四日間泊まることになる宿『大元帥亭』だ。そこには待ちくたびれた引率の顧問と、怒りを燃えたぎらせた五剣士がいるに違いない。
 まずは彼らの怒りをどうやってかわすか。
 悩ませる問題を抱えつつ、ダンとナフューは重苦しい足取りで駅をあとにした。
 
  ◇◇◇
 
 石畳の上を若干浮いて走るドーマのなかで、メーベルはある男の禿頭を眺めていた。
「ほんとに、ほんとに。お忙しいところ、ご足労いただきまして、我々としても、ほんとに胸のすくような」
「わかりましたから、顔を上げてください」
「はい、ほんとに」
 対面座席に座る恰幅の良い男はゆっくり顔を上げ、しきりに小さな布で額を拭いていた。
 変わりないようだけど。まいるのよね。
 男の名はユペンド・ジス・セジスと言い、メーベルにとってはカナエ上級校時代の剣術顧問であり、現在は上級校剣術連盟の審判長。そして今大会の審判団にメーベルを推挙したのがセジスだ。
 元々セジスから剣を習ったわけでもなく、恩師という関係でもないのだが、学生時代にちょっとした粗相を幾度か見逃してくれた恩があった。ついでにベスタ署の署長と知人だったらしく、署長からも頼み込まれてしまったがために今回の依頼を断り切れなかったのだ。
 気に入らないわ、激しく。
 セジスの不必要なほど腰が低い態度もだが、そもそも今回の申し出自体、最初から乗り気ではなかったのだ。
 せめて切り上げられないものか。
 早く帰りたい思いがメーベルの態度を威圧的にさせる。
「それで、私の拘束期限、減りませんか」
「いや、まぁ流動的というか、試合の結果とでも言いましょうか」
「結局、私が必要なのはジェッカーの血を引く者、あの子たちのみでしょう?」
 英雄ジェッカーの孫にあたる、ウララとユトリアの試合が今回の難題だった。二人の拮抗した実力、本家と傍流故に生ずる憎しみや容姿の問題が混ざり合い、ただの試合と言えども、殺し合いにまで発展する可能性があった。
「そうです、そうなります。ジェッカー同士の試合だけを」
 何度も頭を下げるのは、べつにメーベルを恐れているからではない。癖なのだ。しかし癖とわかっていても気に触る。
 はやく着いて欲しいわね。
 苛つきながらもメーベルは肝心の質問を口にした。
「二人がぶつかるのはいつです」
「それはもう、ええ、早くて団体五剣士戦の二日目かと」
「遅かったら?」
「ま、誠に言いにくいのですが、ええ、個人戦最終日あたりに」
「そうですか、最後まで拘束されるのですね」
 四日間、完全に拘束される可能性は確定と言っても良い。
 どちらかが、優勝をあきらめてくれたら。
 あり得ないとわかっていても願わずにはいられなかった。
「ほんとに、ほんとに申し訳ないと」
「ええ、もうそのあたりは充分、わかりました」
 何度も謝られるのは気分良い物ではない。
 まるで私、我が侭言ってるみたい。冗談じゃないわ。
 眉をひそめたまま腕組みし、しばし考え込んだあと、おもむろに眼前の責任者を睨み、
「四日間、やりますよ。ちゃんと。かわりに情報を提供していただけると、ありがたいのですけど」
「な、なんのでしょうか」
「全代表選手たちの詳細な資料を」
「一応、き、禁止なのですが」
「ええ、わかってますけど、なにか?」
 淡々と答えるメーベルに、セジスは溜まった唾を嚥下して、
「で、では内密に」
「もちろん内密です」
「あ、で、でも今は持ち合わせが」
「ジェッカーが絡む五剣士の資料ぐらい、あるのでは?」
「そ、それならばこちらに」
 セジスはあわてて鞄をさぐり、分厚い紙束を差し出してくる。
 用意はしてあっても、こちらが要求しなければ紹介文ぐらいしか見せなかった、というあたりだろうか。
 狡いのよね。やることが。
 内心でぼやきつつ束を受け取り、
「ありがとう、セジスさん」
 ようやく微笑んだメーベルは、無言で資料に目を通しはじめた。
 そうよ、これくらいの役得ないと。
 様々な商売敵が脳裏を過ぎる。
 有能なのが欲しい。喉から手が出るほど。ほかに取られる前に、引き抜いてやる。
 目の前のセジスが微かに震えているのも忘れて、メーベルは鬼気迫る表情でめぼしい人物の査定に入っていった。
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