一章 人生の選択 2

 
 今まで飛んでいたヤジも、黄色い声援も一斉に静まりかえる。
 そのなかで、ダンとコオルタは垂直に持った木剣の鍔を互いに合わせて対峙した。
 決闘時の儀礼だ。
 若干見上げる形になるコオルタの黒い瞳を、ダンは睨みつけた。
「お手柔らかに頼むよ」
 上からの物言いだ。
 実際の身長差があるので、見下ろされているのは仕方ない。ついでに成績も、人望も上なので、物言いも許される。
 けどな、なんか癪だよ。
 見れば見るほど、そう感じる。
 しかもあの顔で言われるのが、なお一層気に入らない。
 髪はさらさらの茶髪で、肌は毎日の鍛錬がそうさせたのか小麦色の日焼け、目尻は切れ長、鼻梁は高め、口元はすっきり薄味の逆三角形顔、まさに女生徒が騒ぐためにある面して、さわやかに言ってのけるのだ。
 あんた、ほんと清々しいぜ。
 つい褒めたくなるのが、さらに悔しさを増す。
 こいつが、こいつがねぇ。
 ちらりコオルタ側にいるウララを見るも、ダンは頭を振って雑念を払う。
「どうした、緊張でもしているのか」
「まぁそんなところです」
 人の心配すんなよ。クソが。余裕ありまくりだね。
 心で罵りながら、ダンは右手側へ視線を向けた。
 そこには、赤銅色の肌に長い銀髪を靡かせた女と見まがうほどの男、幻惑剣のテオ・マーク・ナフューが笑顔で佇んでいた。
 こいつも、なんだかなぁ。
 不安を抱きつつダンは声を掛けた。
「あの、審判ですよね」
「そうさ。よろしく、ダン」
「ど、どうも」
「おっと、こっちの自己紹介がまだだったね。俺はテオ・マーク・ナフュー。ナフューと呼び捨てでいいぜ」
「それはどうも。で、ナフュー、あなたは審判ですよね」
「そうだってば。なにしろ決闘と言っても学生主催だからね。監視員を教師にやらせるとしても、主審ぐらいは生徒がやらないとダメでしょ」
「それはわかるのですが、あなたも五剣士でしたよね」
「あ、心配してる? 大丈夫、俺こういうのに私情を挟まない主義でさ。ほんと」
 無邪気な笑顔を向けられても、疑いは晴れない。
 こうなったら、判定される前にか。
 物騒な決意が脳裏を過ぎるなか、コオルタが小さく咳払いして口にした。
「ナフューのことは信用していい。本当にこいつは、そういう奴なんだ」
「当たり前だけど、わかってるね」
 コオルタへ同意したナフューは、ダンへ微笑みながらまわりを指し示した。
「公衆の面前だよ。身内をひいきにしたら、五剣士の名を汚すことになる。だから俺が選ばれたわけさ。俺、いっつも無視されてるから」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ」
「本当のことだろ、コオルタさん」
 瞬時に笑みを消したナフューにコオルタは渋面となり、ため息を吐いてダンへ話を振った。
「とりあえず、こいつの言うことは本当だ。信じてやってくれ」
「まぁぼくとしてはもうね。どうでもいいのです」
「そうか。ならありがたい」
 口元をほころばせるコオルタだが、審判であるナフューとしては一言あるらしい。
「ダン、どうでもいいはないだろ。ちゃんと俺の出番も用意してもらわないと」
「出番とは?」
 聞き返したダンに、コオルタが答えた。
「審判としての出番。つまりダン、君が食い下がれば食い下がるほど、ナフューの晴れ晴れしい舞台がやってくる、ということだ」
「そう、ですか」
 息を吐くように答え、ダンはゆっくり瞼を閉じた。
 どうやら相当、なめられているんだな、ぼくって。
 元々まわりの評価に無頓着で気にしなかった面もあるが、ここまでダメの烙印を押されているとは思っていなかった。
 自業自得とは言え、認識が甘かったね。ウララさんには申し訳ないことしたかな。
 無駄と思われても仕方がないほどの、ダメっぷりだったのだろう。
 しかし今は……いくら掟があっても。
 未だにこびりつく『本気を出すな』や『勝ってはいけない』などの言葉がダンを縛るも、今回ばかりは破らねばならない。
 もう退けないんだ。
 ダンは力強く目を見開き、コオルタを睨んだ。
 五感を研ぎ澄ませ、相手の鼓動を感じろ、さすれば我は獣へ至る。
 師に教えられた極意を思い返すと共に、言い訳も付け加える。
 一応、彼は強いらしいから。師匠、ぼくやりますよ。
 意を決したところで、ナフューが少ない規則を適当に読み上げはじめた。
「基本は何でもあり。ただし目への突きや、金的は無しだよ、いいかい」
 コオルタが無言でうなずき、ダンも続く。
「決闘強制終了は日が沈むまでだけど、まぁ無視してもいいよ」
「ありすぎるな」
「同感です」
 互いに笑みを口元に刻んだとき、ナフューの号令が飛んだ。
「では、はじめ!」
 両手に力が入り、一気に鍔迫り合いがはじまるも、すぐに押される力が弱まり、一瞬にしてコオルタの木剣が横殴りに振られる。
 神速とあだ名される一閃だ。
 誰しもが勝負ありと思えた一撃であり軌道。しかし、すでに後方へ飛び退いたダンによって見事な空振りで終わっていた。
 観客の感嘆がわずかに上がったあと、コオルタが上段の構えを取りながら満足げに感想を口にした。
「できるじゃないか」
「それはどうも」
 答えつつ木剣を右脇へ構え直すも、ダンは少々戸惑っていた。
 できると言われてもなぁ。あれでねぇ。
 互いに間合いをはかりながら、じりじりと近づいていく。
 まさか今の本気じゃ。神速って、神の如き速さって意味だから。見えないんだろ? うんうん、見えないんだよ。絶対、本気じゃないね。
 などと悶々考え込んでいたせいか、ダンはうかつにも余分な一歩を踏み込んだ。
 同時にコオルタの姿が急速にふくれあがるかのようにダンへ迫る。
 上段に構えられていた木剣へ力が込められ、振り下ろされる寸前。
 なのに。
 ダンはまだ考えていた。
 受け止めて、からだな。
 右脇から上段へ、なめらかに木剣を構え直し、十字状態でコオルタの木剣を受け止める。
 辺りへ響く鈍い打撃音。
 しかしそれは一度ならず二度、三度と続いていく。
 コオルタによる、連続の打ち込みだ。
 横殴りに斜め斬り、そして下段からの返し。
 重い攻撃を、ダンはことごとく受け止め、最後は跳ね返して後方へ飛び退いた。
 今度は観客の感嘆もない。
 ちらり様子を伺うと、誰しもが口を開けて呆けていた。
 なんだってんだ?
 盛り上がりに欠ける観客に首を捻るも、ダンはコオルタへ集中する。だがそこで、再びダンは戸惑いを覚えた。
 どしたの?
 心配したくなるほど、コオルタの表情から余裕が消え、かわりに血の気が引いた蒼白顔へと変貌していた。それでも木剣だけはなんとか握りしめて中段に構える。その姿がなぜか痛々しい。
 おいおい、体調万全じゃなかったのかよ。……でもまぁ勝負ですから、美味しくいただきますけどね。
 不敵な笑みを浮かべたダンは、上段へ構え直して間合いを詰めはじめる。
 相手は一歩も動かない。
 ダンが押し込んでいく形で徐々に近づいていく。
 そして互いの剣先が届く間合いへ来たところで、ついにコオルタが動き、どよめきがまわりから起こった。
 なんだよ、それ。
 呆れるのも無理はない。
 コオルタは一歩後退したのだ。
 しかも彼自身、目を見張って自分の足を見ていた。
 その姿はあまりにも隙がありすぎた。
 だからついつい、ダンは普段の調子で突っ込んでしまった。
「あれ、逃げるんですか?」
「なっ……なんだとぉ」
 さわやかだった面は見る影もない。
 怒りと憎しみに歪み、ダンを睨みつける。
 あ、こりゃいいわ。
 勝手に自滅していく過程を見て、ダンの口元に笑みが刻まれる。それがなお一層コオルタを駆り立て、吠えると共にダンめがけて突進させてしまう。
 終わりだね。神速の。
 最初の一撃目よりも見えた動きだった。
 ダンはあわてることなく易々と突進をかわしながら、木剣を相手の手元めがけて振り下ろした。
 肉を打つ感触と、くぐもった小さな打撃音が手応えを伝え、短いうめき声と木剣の転がる音が続いていく。
 どうやら、勝ったな。
 コオルタは右手を押さえて膝を着いた。
 あっけない終わりだが、勝負は決したのだ。
 師匠、本気を出さずに済みましたよ。
 などと心のなかで囁くも、ダンは未だに振り下ろした構えを解けずにいた。
 で? どうしましょうか。
 コオルタはすでに戦える状況になく、勝負がついた場面なのだが、今だ主審の制止は聞こえてこない。
 ならば、仕方ないね。
 ダンは淡々と木剣を上段に構え、コオルタめがけて振り下ろそうとしたとき。
「そこまでよ」
 凛とした声が辺りに響く。
 皆の視線が一点に集約されていくなか、ダンは木剣を降ろしつつ声の主を伺った。
 やっべぇ。つか、せつねー。
 聞こえた時点でわかっていたが、目にしたことでより辛さが増す。
 視線の先には、まるで怨敵を見るかのような形相をしたウララが居たのだ。
 さらにウララはナフューを睨んで吠えた。
「主審! 終わりよ」
「はいはい。って、俺の出番取られまくりじゃないの」
 ぼやいたナフューが片手を上げ、
「勝負あり。勝者、ジェスラ・ババンギ・ダン。君の勝ちだ、やったな」
 判定が下され、ほっと一息つく。
 後味の悪い、決闘だったなぁ。
 そんな感想を抱くと同時に、ようやくまわりがざわめきはじめ、ダンは自分の立場を思い出すことになる。
 あぁ、ぼくは悪役だったなぁ。
 聞こえてくる声の大半が最初の頃と変わらないヤジと罵倒であり、黄色い声援はコオルタを心配する声に変わるだけ。終いには卑怯だの、再戦だの、勝ちを認めないなどの声が強くなっていく。
 わからんでもないが、味方はいないんですか。
 ちらり見るも、騒いでいた寮生や、ぷっくりでっぷりの幼なじみの姿などまったく見当たらなかった。たぶん払い戻しに駆け込んでいるのだろう。
 これだから奴らは。
「度し難い」
 誰にも聞こえない小さな声でつぶやいた、瞬間。
 風を切る音色が聞こえ、ダンは思いっきりのけぞり、姿勢を崩しつつ三歩ほど飛び退く。
 そして響き渡る男の叫び。
「戦え! 戦え、ダン!」
 吠えたのはコオルタだ。
 しかも左手一本で木剣を構えている。
 さきの風切り音も、左手一本で繰り出した一撃ということだ。
 やるねぇ。油断していたとはいえ、神速に値するんじゃないの。
 などと感心した直後だ。
 観客がコオルタの行動に湧き上がろうとした最中、一陣の風が吹き、コオルタの頬に見事な鉄拳が決まっていく。
 まじで。
 ダンはぽかーんと口を開けて、白目をむいて崩れていくコオルタを目に焼き付けていた。
 そんなダンと観客を前にし、鉄拳制裁を断行した銀髪の男は気絶したコオルタへ吐き捨てた。
「見苦しいんだよ! クソ呆けが! 五剣士の面汚しだ!」
 烈火の如く吠えたテオ・マーク・ナフューの怒りは、それで収まりはしなかった。
 おもむろに観客を眺め回し、
「てめぇら最低だな! いいか、勝負は決した! ジェスラ・ババンギ・ダンの圧勝でだ! これは決闘だぞ! 五剣士の地位を賭けた決闘だ! てめぇらよくもまーぺらぺらと言ってくれたな。この結果にケチつけるのは、五剣士にケチつけたのと同じだ!」
 一気に言い切り、深く息を吸う。
 その間、辺りは静寂に包まれたまま誰も言い返す者はいなかった。
 なのにナフューはだめ押しを決めた。
「今後、文句あるやつぁ俺が叩き斬ってやる! いいか! ……ってあぁ女子は舐めまわすからな」
 言い過ぎたと思ったのか、最後ににやけた笑顔を付け足すも、まったく場の空気は変わらなかった。しかしすっきりしたのか、ナフューは観客を相手にするのをやめてダンへ振り向き、薄茶の瞳を大きく見開いて叫んだ。
「ジェスラ・ババンギ・ダン! あんた最高だ!」
「ど、どうも」
 妙に高揚している祝辞にぎこちなく答えるダンだが、ナフューは構わずに近づき手を差し出してくる。
「俺は認める。誰がどう否定しようとも。ダン、あんたは今から五剣士の一角だ」
「そりゃ……ありがたいね」
 ウララを含めた他の五剣士たちがコオルタのもとへ駆け寄っていく姿を尻目に、ダンは唯一の味方となったナフューの手を握りしめていた。
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