一章 人生の選択 1

 
 いつもの昼下がりなら、中庭は穏やかな日差しのもと昼寝や遊具で時を潰す学生が多い。しかし今の中庭は、決闘騒ぎで人だかりの山と化していた。
「ダン、死なねぇ程度にがんばれー」
「おめーの倍率、ハンパじゃねからぁ」
「負けて元々だぁ、根性だけ見せろぉ。お前にあるのならだがぁ」
 などは同じ寮生の励まし。
 その他はすべてダンへのヤジ、罵倒であり、暖かい応援やら黄色い声援は決闘相手であるコオルタへ向けられていた。
 悪意が七に、冷やかしが二、のこり一つが応援と見ていいのかな。
 あたりの声を冷静に分析しつつ、ダンはぼそっとつぶやいた。
「ぼくは悪役ですか」
「なんだ、今頃気付いたのか」
 傍らからの相づちに、ダンはため息を吐いて振り向く。視線の先には滑らかな曲線を描く二重顎に、ぷにぷにした頬を持つ眉目秀麗な同級生、自称『美少年』通称『子豚』のダダン・ドッガ・ユジーンが薄気味悪い笑みを浮かべて佇んでいた。
 こいつ、ほんと楽しそうだな。
 苦々しい思いを抱きながらダンは答えた。
「こうなったときから気付いていたよ。なにしろ相手は氏族で女子にも人気。かたやこっちは平民出身の貧乏人、ついでに女生徒の受けがよろしくない。今の状況など、目に見えてしかたなかった」
「悟っているな」
「忘れたいくらいにね。それよりもユジーン、君は楽しそうだね」
「あぁ楽しいね。ついでに賭けてやったぞ」
「誰にさ」
「無論、ダン、君に賭けた。一万ギニィだが」
「太っ腹だね」
「それは嫌みか、ダン」
 くりっとした目を細めて睨んでくる。
 ダンは気にせず、黒く大きめの学生服を張り裂けんほどに着こなしたユジーンを眺める。
 同じ制服とは思えないなぁ。
 自分と見比べてダンは口にした。
「いや、言葉通りさ」
「それを嫌みと言うのだ、馬鹿者」
「ですか。にしても一万とはね。これだから氏族は」
 遊びに一万。昼飯代として用意している金額が三百ギニィの平民ダンにとって、一万は巨額に当たる。
 やっぱ氏族のボンボンは違うね。負けてやろうか。
 各種の負け方をダンは知っていた。
 剣術の授業でも練習試合でも、つねにダンは負けている。その結果、負け方に関しては何通りも習得したのだ。この決闘も気付かれることなく、りっぱに相手を立てて負ける自信はあった。
 でも今回ばかりは。
 勝たねばならない。
 勝てば憧れの職業、守護警士への道が一つ開かれるのだ。
 やるしかないね。
 意を決するなか、ユジーンの声が聞こえた。
「ダン、まさか負ける気じゃないだろうな」
「今、そのあたり考えていたところさ」
 心は決まっても、そう簡単に教えるわけにはいかない。不満の元凶は腐れ縁の幼なじみ、ユジーンなのだから。
「なにか問題でもあるのか」
 ありありだね。この際、すっきりさせてから行くか。
 ダンは軽く首を回し、柔軟体操をしつつ口にした。
「お前に得をさせるのも、癪だなと」
「ふん、そんなことだと思った。しかしだな、氏族の私にとって一万などはした金だ。まぁ見返りはかなり巨額になる気もするが、そのあたりは安心しろ」
「どう安心するんだ」
 手首を捻りながら、さらさらの金髪を耳元で綺麗に切りそろえた子豚を見下ろす。
 するとユジーンは、不敵な笑みを浮かべて言ってきた。
「今後、一ヶ月は昼飯を奢ってやろう」
「なに」
「しかも学食最高値のドルシチアン定食だ」
 ダンの目がくわっと見開かれる。
 ドルシチアン定食とは、まるまるとしたドルシチアン鳥を香味野菜と一緒に長い間煮込んで、セビビリアンの辛味をこれでもかと振りかけた激辛肉料理に、一般食のサマンと香味煮汁が込みで九百ギニィという学食最高級品だ。ちなみに学食以外で食せば、五千ギニィは軽く越える料理である。
 もちろんダンはセミサ上級学校に入ってからの四年間、まったく口にしたことがない品だ。驚くのも無理はない。
「そ、それは太っ腹だなぁ」
「また嫌みか」
「い、いや、違いますよユジーン。言葉通りです」
「それが嫌みというのだ」
 ユジーンの睨みを軽く無視し、柔軟を終えたダンは対戦相手のコオルタへ意識を向けた。
 彼、結構強かったよな。
 ニルム・トウィン・コオルタは氏族の家系であり、セミサ上級学校の『五剣士』と呼ばれる剣士、その一角を担っていた。
 二番手かぁ。ただ実力だけなら『あの人』をも上回るとか。
 噂を意識しつつ、ダンはコオルタ側にいる『あの人』へ焦点を合わせた。
 いつ見ても……やっぱいいねぇ、きみは。
 見惚れる相手の名は、ジェッカー・コース・ウララ。英雄ジェッカーの血を引く氏族であり、長い金髪と凛とした雰囲気をまとう、校内の姫君と呼ばれる少女。ダンにとっては高嶺の花であり、未だまともな会話はしたことがなかった。今朝までは。
 ぼくが彼女と話せる日が来るとは……まぁなにもかも終わったけど。
 上級学校への入学式から抱いていた淡い思いも、一気に凍りつくような出会いとなってしまった。
 なんでこんなことに。
 後悔の念がじんわり広がっていくなか、ウララがダンのほうを見たので、思わず目を伏せてため息を吐く。
 やるせないが。やるしかないのが今だ。
 鬱積した思いを吹っ切っていくなか、ユジーンが軽く背中を押してきた。
「なんだよ、ユジーン」
「はじまりの時だ。もう君に悩んでいる暇はないんだ」
「悩んでなんか。心は決まっているんだ」
 吐き捨てながらダンは正面へと向いた。
 相手もまた一歩中央へ踏み込んでくる。
「そうか、なら自分の手で掴み取れ」
「わかっている」
「良い答えだ。せっかく舞台を整えてやったんだ、無駄にするなよ」
 そうだ。無駄にはできない。
 最初は嫌々だったが、今はもう違う。
 この一戦で、ぼくの未来が決まる。
 ダンはゆっくり息を吐き、腰に差していた木剣の柄へ手を伸ばした。
 
  ◇◇◇
 
 ゴーズダリアン王国の王都『ゴズダーン』では、明確な四季を感じることはできない。
 それでもサマンの収穫が終わり、秋の収穫祭から新年の祝い事準備がはじまる時期にもなれば、風の冷たさは身に染みる。
 そんな寒さのなか、ジェスラ・ババンギ・ダンは一つの岐路に立たされようとしていた。
 ウルマ歴四八九年。上級学校生活もすでに四年、年齢も十五歳に達し、来年の春には卒業を迎える。
 問題は卒業したあとだ。
 進学か就職か。
 迫る選択に、ダンは容易く就職を選んだ。
 理由は簡単、金の問題だ。
 ジェスラ家の中でもババンギ筋は元から裕福ではなかった。さらに父が早々に他界しての母、兄、姉の四人家族。当初は生活費だけで精一杯の財政状況だった。そんな貧乏生活が数年続いたあと、若くして商売の才を発揮した兄と、少々裕福な家に嫁いだ姉のお陰で、金の問題は解決を迎えようとしていた。
 しかし家族の苦労を目の当たりにしてきたダンは、これ以上、彼らの世話になるのは耐えられなかった。ダンは丁重に彼らの援助を断り、独立を目指すべく就職組に入った……まではよかったのだ。
「なにがしたいんだ、ぼくは」
 ダンを阻んだのは、様々な就職情報と己の優柔不断であった。
 見れば見るほど、知れば知るほど、ダンは迷いに迷い、何日も考え込んでは次の就職情報に取り組む過程を三ヶ月は続けていた。
 お陰で就職進路相談室はダンの部屋と認識されはじめていた、昨日。
 転機は訪れた。
 見かねたユジーンが助言してきたのだ。
「君はまったく取り柄のない人間だ。商売の才もない。勉学も底辺。真術の成績も芳しくない。いわゆる、クズだ」
「そ、そこまで言いますか」
「しかし君、少しはできるんだろ?」
「なにが?」
「これさ」
 そう言って差し出してきたのが、各種の武闘系職業の募集要項であった。
「ユジーン、お前はぼくに死ねと言っているのか?」
「いいや。ただ君に向いていると思ってね」
「でもなぁ、そういう肉体労働はなぁ」
「贅沢を言うなよ、クズ」
「クズって。心痛いなぁ」
「痛む前に決めたまえ」
「うーん、決めると言っても、こうも多いとなぁ」
 冒険者組合員募集から、兵士募集や傭兵隊員募集、または武装配達人、海軍の『海の男にならないか』などなど。選ぶのに困るほどの情報に頭を抱えようとしたさなか、ユジーンが一枚の募集要項を差し出してきた。
「君にはこれがちょうど良いだろう」
「どれどれ。ほう、守護警士かぁ」
「昔、なりたいとか言ってなかったか」
「まぁ昔はね。なにしろ地元の英雄じゃないか」
 守護警士、アスラタとも呼ばれる職業は、主要な都市にのみ配置される警邏系の兵士である。王都を守り住民を守る地域密着型の兵士は、王都の住人にとって一番頼りにされる存在であり、子供たちにとっては身近な英雄でもあった。
 しかし年を追うごとに入ってくる情報から、守護警士の過酷な任務状況を知るや否や、子供たちはさらなる人気職へ憧れの目を向けるようになる。ダンもまたその一人であった。
 ダンの浮かない反応を見てか、ユジーンが睨んでくる。
「不満があると?」
「まぁちょっとは」
「君が言える立場だと?」
「そ、それは」
「いいか、君は選べる立場じゃないのだ。それによく見ろ、この条件を。ほかの職業よりも収入は良いし、なにより死亡率が少ないだろ」
 示された数値に、ダンは渋々うなずく。
 たしかに給料はそこらの職業よりも二倍はいい。死亡率も軍隊絡みや、配達人絡みよりも圧倒的に少なかった。
「そして考えろ、現在の情勢下を。たぶん、来年あたりにこの国は、シュベンターク帝国へ宣戦布告するぞ」
「そんな雰囲気は、あるね」
「雰囲気じゃなくて、たしかだ。そうなれば戦争だ。まだ守護警士のほうがいいんじゃないか。一般兵よりも、他の職業よりも、生き残る可能性が高く、誰かを守る力もある、違うか?」
 畳みかけるユジーンに、ダンは無言で何度もうなずき、もう一度要項を見返し……しばらくして間抜けな声を上げた。
「あ」
「あ、じゃないだろ。君にはこの道しかない、理解したまえ」
「いや、理解はしたんだ。条件いいなとも思ったし、やっぱ昔憧れていたし。でもさぁユジーン、君はここをちゃんと見たのかい」
「どこをだ」
「ほら、ここ。試験資格の欄、新卒者・学生は学校の推薦を得ることってさ」
「あぁそこならちゃんと見たし、理解している」
 大したことではない、とでも言う風にふんぞり返るユジーンにダンは眉をひそめた。
「ユジーン、君は肝心なところで抜けているよ」
「ほう、どこがだ」
「推薦だよ推薦。ぼくが学校から推薦されると思うか? ぼくは思わないね。情けないけど」
「珍しい、君がそこまで聡明だとはね」
「あのね、ぼくはそれなりにわかっている子ですよ」
「ならもうちょっと、推薦が受けられるような活動なり勉学なり、励んでおくべきだったな」
「勉学は致し方ないにしても、部活動は君に責任があるんじゃないか、ユジーン」
「どこがだ」
 すまし顔で答えるユジーンが、ダンの怒りに火をつける。
 こぉのクソ呆けがぁ。
 心で罵りながら、ユジーンを指差し責め立てる。
「ユジーン、君だろうが、王女愛好同盟なんてつくって、無理矢理ぼくを引き入れて。王家の行事があれば何度も連れ回しただろ。お陰でなんの活動もできずに、ぼくの評価は底だよ底、低よりも下の底だよ、活動欄は」
「底とは、君の担任は見る目がないね」
「そうかもしれん。って違うだろ」
「違わないね。君はあの同盟のお陰で、王家に関する知識を得ただろう。かなり膨大にだ」
「それは、そうだが」
「いいか、その知識はいずれ君を助ける。予言しておこう」
「予言されてもね。底は底だ。推薦なんて得られないね」
 投げやりに答え、手にした守護警士の募集要項を手放そうとしたとき。
「待ちたまえ、ダン」
「なにをだ、ユジーン」
 改めて相手を眺めると、ユジーンは両手を組み合わせた上に立派な二重顎を乗せ、不敵な笑みを浮かべて告げてきた。
「夢を投げるのをだ」
「夢?」
「憧れともいう。そういうのは人生において大事だ。違うか」
「ま、まぁそうだと思うが」
「なら、あきらめるのはまだ早すぎるのだ」
 そう言ってユジーンは別の紙を投げてくる。
 ちらり見ると『第三五五回新春学生統一剣術大会』なる文字が躍っていた。
「剣術大会、あれか」
「あれだ。王都の上級校だけでも三〇校。さらに二大衛星都市、北方のカンダストと、南のリアラサルトから二〇校と十五校が参加。合計六五校による学生最大の催し物だ。この意味がわかるか、ダン」
 馬鹿でもわかる。
 これだけの大会だ。出場するだけでも、活動欄の評価は最高値の『最』へ上がるだろう。となれば守護警士資格試験への学校推薦も得られる可能性が高くなる。
 でもな。
「わかるんだけどさぁ。これに出られるのは限られた生徒だけだぜ」
「あぁ限られた生徒だけだ」
 ユジーンは喉を鳴らして笑い、こう続けた。
「なにも全校代表の個人戦だけが大会ではない。これには団体戦の『五剣士』がある。そっちならば、どうだ」
「どうだって言われても、たしかもう決まっているだろう」
 個人戦にも登録されている、筆頭剣士ジェッカー・コース・ウララを中心に、神速のニルム・トウィン・コオルタ、幻惑剣のテオ・マーク・ナフュー、怪力大神ことハバル・マル・ウイッシュ、仁剣二刀使いのシスイ・ナウム・モーリア、以上の五名がセミサ上級学校代表の五剣士であり、どの人物も非の打ち所がない成績を収めているらしい。
「たしかに決まっている。しかしダン、君は忘れているな」
「な、なにをかな」
「この五剣士には決闘条約があることを」
「そういえば」
 大会一ヶ月前ならば五剣士の誰かに挑むことができる条約がある。勝てば相手の五剣士としての地位を得ると共に、大会参加も許可されるのだ。ちなみに挑戦された五剣士に拒む権利はなく、先代が卒業したあとの新生五剣士が結成されてから十回ぐらいは決闘騒ぎが起きている。
 でも誰も勝てなかったよな。
 それだけ今の五剣士の強さは他の生徒と一線を画していた。
「ここまで言えばわかるだろう。ダン、君は決闘するんだ」
「そ、そうなりますか」
「大会までまだ一ヶ月弱ある。期限は余裕だ。なら挑戦するしかないだろう」
「ま、まぁやらないよりかマシですが」
「なんだ、乗り気じゃないな」
「そりゃそうだろ。決闘だぜ、しかもあの五剣士となんて。気分も滅入るというものだ」
「ほう、気分が滅入るだけか」
 ユジーンが眼を細めて睨んでくる。
 なにがあるってんだ。
 身構えつつダンは答えた。
「だけかって。それ以上になにがあるんでしょうか」
「勝てない、と思うのが普通だろ」
「わかった。勝てない。負けるよ」
 さらっと流したつもりだったが、今度はユジーンのほうに火がついたらしい。
 いきなり机を叩きつけ、二重顎を振るわせて吠えた。
「今更遅いぞ、ダン。君の人生だ。そしてこれは人生の岐路、もっと真剣になるのだ。それに私は知っている。君が隠れてこそこそ修練を積んでいることをね」
 気圧されるもダンは苦笑いを浮かべた。
「修練って、普通に練習でしょうに」
「しかし隠れてこそこそは当たっている。しかも君はまったく本気を出したことがない、違うか」
「出してますよ。普通に」
「まぁ深くは追求しないさ、そのまましらばっくれていろ。どうせ舞台は整っているんだ。君はもう逃げられやしないのだ」
「……なんですと」
 小首を傾げてしばらく考え、ようやく事の次第を理解したダンは目を見開いてユジーンに掴みかかった。
「ま、マジですか」
「マジだ」
「い、いつ」
「明日の昼だな」
「ち、近! ってそれよりも、相手は誰だ、相手は」
「大丈夫、君の大好きなウララじゃないよ」
「あ、当たり前だ、つかどさくさにまぎれて変なこと言うんじゃないよこの子豚が」
「ふっ、青いな」
「青くて悪かったな。というか答えろ、相手は誰だ、相手は。そこが肝心なんだから」
「じゃぁこの手をどけたまえ。息苦しくて仕方ない」
「わ、わりぃ」
 無我夢中だったためか、ユジーンの太い首を絞めていたらしい。
 手を離し、椅子に座り直して問い直した。
「で、相手は誰なんだ」
「申し分ない相手だ。こいつを負かせば、誰も文句は言わないだろう」
「……すげー嫌な予感してきた」
「なら君は勘が鋭いほうだ。よかったな」
「良くない、良くないぞ! というか誰なんだ。いい加減教えろ」
「いいだろう。相手はあの『神速』ことニルム・トウィン・コオルタだ」
 二番手だ。
 あの五剣士のなかでもまとめ役であり、筆頭剣士であるジェッカー・コース・ウララの次席にあたる剣士。まことしやかに囁かれる噂によれば、ウララが英雄ジェッカーの血族であるがため、筆頭剣士の座を譲ったという。それだけ、コオルタの実力は評価されているのだ。
 たしかに彼を倒せば誰も難癖つけないだろうが。
 問題は勝てるのか、だ。
 そして『勝って良いのか』という問題もダンにはあった。
 師匠の定めた掟に反することは……。
 眉をひそめて押し黙るダンに、ユジーンの笑い声が聞こえてくる。
「なんだよ、ユジーン。笑い所じゃないぞ」
「いやね、急に君が真剣になるからさ。それだけ、嫌な相手だったかい」
「どうだか。まぁウララでなかったことだけはありがたいね」
「無論だ、あんなの相手にしても意味がない。今回は君が推薦を得られる状況になる、それだけが目的なのだから」
「だったらほかにも居たんじゃないか?」
「弱い相手を負かして、皆が認めると思うか」
「他の連中、弱いわけないだろ」
「しかし残りは甲乙つけがたい。まぁあの中で練習試合の成績が悪いのは女好きナフューだけだ。あんなのに楽勝してもな」
 銀色の長髪をなびかせ、健康的な赤銅色の肌を持つナフューはコオルタ以上に女生徒の人気は高かった。ダンも遠目に見たことはあるが、あきらかに女性受けする顔をしていた。
 ナフューか。絶対、やりにくいだろうな。
 勝ったら全校の女子生徒を敵に回すだろう。だがそれ以上に、妙に戦いたくない雰囲気を持っていた。
「ま、今はそれよりも、だな」
 肩をすくめ、ダンは天井を仰ぎ見た。
「どうだ。勝てそうか」
「ユジーン、そういう質問は舞台を整える前に言ってくれ」
「今となってはだろ」
「たしかに。ならユジーン。君はどう思っているんだ。この決闘の行方を」
「私は信じているからな。君の強さを」
「根拠は」
「言わぬが花だ」
「またまた。ほんと、へんな奴だよ、君は」
「それを言うなら君もだ、ダン」
「あっそ。変人同士ってか。たまりませんねぇ」
 天井に向かってため息を吐き、ダンはゆっくりユジーンへ向き直った。
「さて聞かせてもらおうか、ダン。勝てるか」
 一拍の間を置き、ダンは不敵な笑みを浮かべ、日頃口にしない言葉を吐き捨てた。
「勝つ」
 
  ◇◇◇
 
 決闘の知らせは瞬く間に校内へ知れ渡った。
 お陰で、その日のダンは就職進路相談室からそそくさと退出し、人目に気付かれぬよう学生寮へ戻る羽目になる。しかし、すでに情報を得ていた寮生らにダンは捕まり、決闘前夜はダンの無謀と冥福を祈る祝賀会で貴重な時を潰されていく。
 なんとか学生寮秘匿の一品、ハスワラ酒だけは拒み続けて飲まずに済んだものの、朝まで騒がれてしまい、ダンの体調は芳しくないまま、決闘当日の朝を迎えることになる。
 そんなダンに、精神的な圧迫もやってくる。
 登校時の女生徒から注がれる冷たい視線。いつもならまったく無視される存在のダンが、やたらと注目を浴びてしまう。しかも、どれもが好意的な眼差しではない。その中でも最たる者が声を掛けてくる。
「ちょっと、いいかしら」
 呼びかけにしては好意を一切感じない声に、ダンがびくびくしながら振り向くと、金髪をそよ風に靡かせた、あのジェッカー・コース・ウララが腕組みして睨んでいた。
 あまりのことに無言で何度もうなずいたダンは、ウララの導くまま校舎屋上へ上がり、二人っきりになったところで責め立てがはじまった。
「今頃、どういうことかしら」
「ど、どうって」
 心臓の鼓動が早鐘に変わるのを実感しつつ、ダンは青い瞳を見て続けた。
「決闘ですか」
「当たり前でしょう。さあ答えて。なぜ今なの」
「それは、そのぉ」
 本当のことを言えるわけがない。
 友人にそそのかされた、なんてなぁ。
 目の前にいる、静かな怒りに包まれたウララに言っても、理解してもらえるとは思えない。さらなる怒りを引き出すだけだろう。
 ならやっぱり。推薦を得るためと言うべきか。
 元々の目的でもあるのだが、これを言ったとして、彼女がどう反応するのかは今の段階では予測がつかない。
 どうする、ダン。
 自らに問いかけると同時に、厳しく睨むウララが軽くため息を吐いて話しはじめた。
「今はね、大事なときなの。大会までもう一ヶ月と言ってもいいくらい迫っていて、みんな必死なのよ。ほかの人たちだって、私たちを気遣ってそっとしておいてくれている。なのに決闘だなんて。しかも今頃よ、あなたの神経を疑うわ」
 こ、これは……きつい。
 睨まれて、なおかつ神経を疑われる。その相手がウララなのだ。
 戦いを前にして、この壁はでかいぜ。
 あまりの精神攻撃にダンが無言でいると、ウララはさらに話しを続けた。
「コオルタは笑っていたわ。べつに嘲笑とかでなく、楽しそうに。彼、とてもいい人でね、氏族なのに奢ってなくて、誰に対しても穏やかな人よ。まとまりの悪い私たち五剣士をうまくまとめてくれる。私たちには必要な人だわ」
 こ、この流れも……きついを通り越すね。
 まるで愛の告白、その前座だ。というよりも、コオルタのことをウララがどう思っているのか、はっきりしたと言ってもいい。
 ぼくは、なにも言わぬまま玉砕ですか。
 笑いたくなる衝動を抑えつつ、ダンは震える声で先手を打った。
「つ、つまりウララさんは、ぼ、ぼくに負けろと」
「負けろ?」
 小首を傾げての復唱は、一瞬の安らぎを感じさせた。
 しかし彼女の返事に、ダンは一気に叩きのめされることになる。
 しばらく考え込んだウララは、唐突に涼やかな声のまま笑い声を上げ、軽く腹を押さえて片手を振った。
「違うわよ、というか、あなた勝つ気なの、コオルタに? あり得ない、信じられないわ。やっぱりあなたおかしいよ」
「そ、そうですか」
 短く答える声すら、ダンは絞り出さねばならなかった。
 ダメだ、すげぇ泣きそう。
 歯を食いしばり、震える両手を握りしめる。それでも足は震えっぱなしだ。そんなダンに無情なる声が追い打ちをかけてくる。
「私が言いたいのは、こんな茶番はやめて欲しいってこと」
「茶番」
 思わず口をつき、ダンは力いっぱい目を閉じた。
「そうよ、無駄でしょ。意味もない。彼にとってなんの価値もない。もしも万が一、この決闘でケガでもして大会に支障を来したら? もしも出られなくなったら? 彼のこれまでの努力は無に帰するのよ。その権利が、あなたにあって?」
 ありはしない。それはわかっている。
 彼女が、ダンが勝った場合を言っていないのもわかっている。
 だが勝てば、同じ結果が待っているのだ。
 ぼくに奪う権利はない。でもこの決闘は……茶番じゃないんだ。無駄でもないんだ。
 震えがぴたりと止み、萎えていた気力が熱い鼓動となって体中を駆け巡り、ダンの思いをつぶやかせる。
「人生の、選択なんだ」
「は?」
 目を見開き、理解しかねているウララにはっきりと言った。
「この決闘は、ぼくにとって人生を左右するものなのです。それは向こうも同じでしょう。ならば心はもう決まっているはずです。それが決闘というもの、違いますか」
「ち、違わないけど」
「けどじゃない」
 押し殺した声で吠え、うろたえるウララを睨み、言い切った。
「決闘なんだ。真剣勝負なんだ。勝つか、負けるか。奪われるか、死守するか。そういう意味合いがあるからこそ、決闘なんだ。そしてこの決闘は、五剣士にとって当然の定めのはず。それを茶番だとか、無駄だとか、けなす権利があなたにあるのですか、五剣士の一人なのに!」
 最後は声を荒げて正論を、思いを叩きつける。と同時にダンは見てしまう。ウララが言い返せずに唇を噛んで視線を逸らしたのを。
 やべぇ。
 ダンはあわてて、深呼吸を三回ほどしてから話を続けた。
「すみません、言い過ぎました」
 丁寧に謝ってみたものの、相手からの返答はなかった。
 嫌われたね。さようなら、我が初恋。
 自嘲気味な笑みを浮かべ、ダンは両手を挙げて伸びをした。そして鬱屈した思いを垂れ流すように愚痴りはじめた。
「いやぁぼくもねー。こんなことになるとはまったく、思いもよらなくて。なにしろすべて友人が、って違うな、腐れ縁の幼なじみ、うーん、それよりも悪友ってのが合うかなぁ。まぁそいつがね、いろいろお膳立てしてくれまして」
 言いつつウララの様子を探ると、視線は険しいものの無視しているようではなかった。
 まぁ言うべきことは、言っておきますか。
 心を決め、ダンは愚痴を続けた。
「就職先を迷っていたぼくにも問題があるのですが。見かねた友人が示唆してくれまして。とりあえずやりたい職業が見つかったわけですが、それには資格試験があり、なおかつ上級校の推薦がいるという。ま、そういうことで、今回の事態になったわけです」
 長々と話したわりに、ウララは黙ったまま聞いていた。
 そしてゆっくり息を吸い、ため息を吐いて彼女は言った。
「あなたにも、退けぬ理由があるわけね」
「ええ、退けません。ここまで舞台を整えてくれた友人のためにも、自分の人生のためにも退くことはできないのです」
「そう、決意は揺るがない。わかったわ」
 ウララは目を伏せて歩きだし、ダンの隣を過ぎ去っていく。
 あぁほんとにさようなら、心の姫君よ。
 黒い制服の上を金色の髪が風に揺れる。遠目からたまに眺めていた後ろ姿だ。しかしもう見ることはあるまい。
 これが最後だ。
 そんな思いで見送っていると、昇降口へ向かう途中で彼女は立ち止まった。
「先ほどの非礼はわびます。でも、いくらあなたの決意が強くとも、コオルタには勝てませんよ」
「肝に銘じておきます」
 即答に、ウララの姿が揺れた。
 しかし彼女は一度も振り向くことなく、無言のまま屋上をあとにした。
 一人残ったダンは、薄い雲がたなびく空を見上げながら、こみ上げてくる衝動を抑え込むのに必死だった。
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