二章 滅殺すべし 1

 
 気怠い授業が終わり、ホームルームも滞りなく終了。
 ようやくか。
 軽いため息を吐き、勇也は開放感を噛みしめる。
 学生に戻り、勉学だけに勤しむ。
 それがこれほどに退屈であるとは、戻ってみて骨身に染みた。
 興味失せてるしなぁ。
 やりたいことが別にあるから、なおのこと感じるのかもしれない。
 とにかく終わった。
 教室の時計を眺め、次の予定まで少し時間があることを確認して席を立とうとしたとき。
「ちょっといいかな」
 前の席から声が掛かる。
 またか。
 眉をひそめる勇也に、声の主は苦笑して茶髪を掻き上げた。
「そんなに嫌な顔しないでくれよ。これも委員長としての勤めなんだからさ」
「わかってるさ、新垣委員長」
「新垣でいいって。肩書きなんて堅苦しいだけで、嫌みだろ、それ」
「もちろん」
 さらり同意して鞄を手に取るも、新垣信太郎は回り込んで進路を塞ぎ、
「まぁまぁ。ちょっとぐらいはいいだろ。話を聞いてくれ」
「すまないがバイトあるんで」
「毎日じゃないって、昨日は言ってたね」
「そうだけど、今日はある」
「今すぐか?」
 ではない。すでに確認済みだ。
 ……仕方ないな。
 周りの目もあれば、別段悪い奴ではないのだ。
 根負けしたかのように力を抜き、鞄を机の上へ置いて答えた。
「わかったよ委員長。話を聞こう」
「潔いね、その調子さ」
「なにが」
「クラスで浮かないための」
「どうでもいいさ、そんなの」
 投げやりに答えて席へ座り直すと、新垣は鞄から資料を取り出して話しはじめた。
「ま、そのあたりはまた今度話し合うとして。まずは柊くん、君の所属先を決めよう」
 所属、つまり部活動だ。
 星鳳学園へ入学してから二週間とちょっと。
 すでにクラスの大半は某かの部へ入部し終えている。残ったのもほとんど所属先が決まりかけで、まったく先行き不透明なのは勇也だけだった。だからか委員長でもある新垣がこのところしつこく、つきまといはじめたのだ。
 真面目だな、ほんと。……岸谷はいいって言ったのにな。
 担任の岸谷から了承も得て、バイトに専念しようとしていたのに。どうも話が食い違っている。たぶん、新垣の方へ岸谷から指令が出ているのだろう。
 お節介、という指令が。
 うんざり気味に頬杖をついた勇也は、意気込む新垣へさくっと答えた。
「帰宅部でいい」
「残念、無いんだ」
「わかってる。というより、バイトある身だ。入っても幽霊部員になるのがオチだ」
「それでもいいってさ。しかしやってみたら案外はまるかもしれない。それにバイト持ちの生徒には寛大な処置が用意されているらしいよ」
「なら帰宅部でもいいだろうに」
「仕方ない。うちは部活動にも力入れている学校って、知れ渡っているからね。柊くんもわかっていて星鳳に来たんだろ?」
 わかってませんでした。
 言い返したいが、言えるわけもない。
 言えば突っ込まれるのがオチだ。
 星鳳か。意外と面倒な校風だったんだな。
 高校進学を勧められた理由は、やはり今後のためだ。財前から、いくら闇の世界で生きていくことになろうとも生活圏は現世、人間としての教養は必要だと説得されたのだ。ならばと金があまりかからない公立へと具申したら、財前はなにも言わずに星鳳の願書を出してきた。
 なぜ星鳳なのか。
 理由を財前は語らなかったが、こっちに来てなんとなく悟れた。
 近いのだ。
 彼女、瀬能那由が通うお嬢さま学校、桜冥王女学院に。一ブロック隣りにあり、駅からの通学路も一緒だ。しかしお嬢さまが通う学校のためか、大半の生徒は車での登下校。那由も同じく運転手付きの車でとなり、未だ一緒に通ったことはない。
 ほんと、なに考えてんだろうな、財前さんは。
 いろいろ言いたいことが渦巻くも、新垣から部活写真付きの資料を突きつけられ、現実に引き戻される。
「どれがいい? 希望は考えてくれたんだろ?」
「いや」
「即答かよ、いいね」
「いいのか?」
「その調子で答えて欲しくてね。で? 文化系それとも体育系?」
「……むずいな」
「おいおい、そこで即答が欲しいんだけど」
 新垣が笑って資料をめくりはじめると、側を通った女子が吹奏楽部の写真を指差し、
「うちもよろしく」
 笑顔付きで告知し去っていく。
「狙われてるね、柊くん」
「違うだろ」
 答えつつあたりを眺めると、教室に居残っていた数名がさっと視線を外し、再び会話の華が続いていく。
 なんだ?
 妙な視線を感じる。
「狙われてるんだよ、未だ放浪者だから」
「放浪者?」
「部員数が多ければ、それだけ発言力は増すからね、うちのシステム」
 なるほど。
 新入部員にも勧誘命令が下りているのだろう。
「嫌な校風だな」
「どこも似たようなものさ。徹底されているかどうか、だけど」
 肩をすくめて見せ、新垣は再度部活写真を見せてきた。
「でさ、やってみたいことってない? それか、現実的なものとか」
「現実とは?」
「実践的というか。ま、運動とかさ」
 運動か。
 鈍ってきている、までは行かないがそろそろ動きたいのも事実。しかし公の場で動くとなると、意識的にセーブしなければならず、煩わしいことこの上ないのが現状だ。
 できるなら運動、実践を考えるなら武道……しかしなぁ。稽古でも対戦でも、一般人相手となると。
 鍛え上げた一般人であっても話にならない。
 それが悪魔と契約した者の異常性だ。
 となると文化系だが……そうだ。
 ふと思いつき、勇也は口走った。
「精神統一、禅の修行みたいなのがいいな」
「禅? また際どいところを突いてくるね」
 周りからもざわめきが聞こえる。
 さっと顔を上げた新垣は、
「あぁそこ、ちゃちゃは入れないでよ。真剣なんだから」
 注意してから資料をめくり飛ばす。
「たしか……お茶とかどうだい?」
「茶? 茶道ねぇ」
 遠のくな、運動から。
 首を捻り、勇也は浮かぶ文字を口にした。
「悪くないが、できるなら身体を動かしたい。しかし記録とか、直に対戦するのは避けたい」
「ほうほう。条件が出てきたね。いい兆候だ」
 嬉々として資料をめくりつつ、新垣は小首を傾げた。
「直に対戦って、どういうことかな。柔道みたいな?」
「そう、それ。組んず解れつやら、痛いのは勘弁願いたい」
 殺しかねないからなぁ。
 心の中で付けたし苦笑する。
「なるほど。記録ってのはトラック競技とか?」
「だな。そういうの全般」
「となると、かなり限られてくるなぁ」
「あるの?」
「……こんなのどうだい?」
 開いたページの写真を見てみると、袴姿の男女が弓を引いている。
「弓道……ありだな」
 自身の能力を鑑みれば、いくらスポーツ化していようとも応用はできる。競うとしても技術の面が高く、ついでに精神鍛錬もできるだろう。
「あり、と言ったね。見学してみるかい?」
「見学か。まぁちらっとなら」
 時計を見つつ答えると、新垣は資料をざっと読み上げた。
「部員数は新入生入れて二一名。男女比は四対六で女子優勢。三年前の高校総体県大会での女子団体戦三位が最高記録、以下鳴かず飛ばず。微妙だね」
「別にその辺りは気にしない」
「そうか。なら早速……あ、そういえば」
 あたりを見回した新垣は、すぐに微笑んだ。
「凄いな、彼女」
 小さくつぶやき、窓際の席を指差す。
「ほら、あの眠り姫」
「眠り?」
 指の先を見て、勇也も自然と口元がほころぶ。
 たしかに凄い。
 黒髪のポニーテールが顔に掛かったまま眠りこけている。熟睡故か、口も半開きだ。
「お疲れのようだが起こさないと……って柊くんは彼女の名前わかる?」
「いや、記憶にない」
「二週間越えたんだから、クラスメートの名前ぐらい覚えようよ」
「俺はバイトで忙しいの。で、あの子がなに?」
「鈴白阿津香、弓道部員だよ」
 口にしつつ新垣は起こすべく席を立った。
「おーい、鈴白さーん。そろそろ起きないと部活遅刻だよ」
 呼びかけに伏したままの少女は薄目を開け、
「そう、もう」
 小さな声で応え、ゆっくり身を起こしていく。
 あの様子だと、ホームルーム前からか。夜更かしでもしたか?
 などと思った直後、鈴白の肩に黒いモヤが一瞬だけ蠢いた。
 あれは。
 錯覚かとも考えたが、答えは一つ。
 憑かれてると。
 低級な精神寄生体が鈴白に憑いているのだ。
 あれぐらいなら、緩慢にはなるか。
 初期症状では集中力が落ち、常時眠気を抱くようになる。命に別状はないが、徐々に心を蝕みはじめていくパターンが多い。
 しっかし何度目だ、こんなの。
 通学途中でも絶えず目にする。
 よくある現象の一つであり、あれほどの寄生体は今、どこにでもあふれている。街中ではもっとはっきりした姿、形のものが蠢き、知らぬ間に人へ憑く、それが現世だった。
 あぁったく、目障りだ。
 いつもなら無視するクラスだが、近場に存在するのは気に食わない。
 勇也は席を立ち、新垣と二言三言やり取りする鈴白に近寄り、
「付いてるよ」
「え?」
 反応する間に手を伸ばし、鈴白の肩を軽く払った。
「いやさ、糸くず付いてたから」
「そりゃどうも……って寒」
 急に肩を震わせだす鈴白へ、新垣が口を挟んだ。
「ひきはじめじゃないの。あ、だから眠たいんだ」
「そう、かなぁ」
 両腕をさすりながら鈴白は小首を傾げる。
「眠気はどうだ?」
 勇也の問いにしばし考え込み、数回瞬きしてから口にした。
「覚めたみたい」
「なら大丈夫さ」
 滅殺完了。……味気ねぇ。
 払った手を軽く握り締めるなか、鈴白は軽く伸びをはじめる。
「う〜ん、なんかスッキリしてきた。やっぱ寝起きはいいわ」
「寝るのはどうかと思うけどね」
 生真面目な新垣の言葉に愛嬌ある笑顔で応えた鈴白は、勇也と新垣を交互に見て、
「で、弓道部がなにさ。二人とも入るの?」
「いや、ぼくはすでに天文部。入るというか、興味あるのは彼さ」
 新垣が指差してくる。
「ふーん。たしか柊くんだったね」
「ども。ちょっと見学をね」
「入っちゃえばいいじゃない」
「バイトしている身だ。その点、どうなるのかなと」
「理由によって、らしいよ。生活苦でバイトとかさ」
「ならそれだ」
「……ほんとに生活苦なの?」
 不自由はしてないけど。
 衣食住は財前持ちで苦しいことはない。食生活に至っては、今までとは比べものにならないほどだ。
 ただし勇也には金がいる。
 お小遣いなどは望めぬ立場だし、もらえたとしてもそれだけで足りるとは思えない。だからこそのバイトだ。
 金がないとどうにも。
 京都へ行くための旅費、宿泊代。それと今後の仕事に移動として使うであろうバイク。その購入代と運転免許費用。財前に頼む選択肢もあったが、すでにかなりの負担を強いているのだ。そうそう甘えるわけにもいかない。
 まずは働いて、だな。
 当面の目標クリア、そのためには稼がねばならなかった。
「まぁ似たようなものだ。苦しいことに代わりはない」
「大変だね……ま、そのあたりは深く突っ込まないよ。人それぞれだしね。じゃ行こうか」
 明るく笑顔を振りまいて鈴白が席を立つ、ちょうどそのとき。
「あれ」
「どったの?」
「ケータイが、ちょっと」
 支給されたケータイが振動していた。
 着信だ。
 しかし支給品故に番号を知っている者は限られる。
 誰だ?
 ポケットへ突っ込み、振動するケータイを取り出す。
 げっ、なんで?
 着信表示に現れた名にためらうなか、まとまったことに安堵の表情を浮かべた新垣が鈴白へ囁いた。
「じゃ、柊くんの件は任せたよ」
「オッケー」
「決まらなかったら、また相談してよ」
 ケータイに気を取られるも新垣の視線に気付き、慌てて答える。
「あ、あぁ。手間取らせたな」
「気にしないでくれ、これも委員長としての勤めさ」
 さわやかな笑みを浮かべた新垣は、軽く伸びをしてつぶやいた。
「そいじゃぼくも部活へ行くかなぁ……ってありゃなんだ?」
 窓へ近づく新垣に、鈴白もつられて外へ目を向ける。その合間に勇也は彼らから一歩離れ、通話ボタンを押した。
「お待たせしました、店長」
 小声で丁寧に切り出すと、軽やかな笑い声が聞こえ、
『はい、待ちました』
 おっとりした声が返ってくる。
「すみません、ちょっと手が離せなくて」
『いえいえ、お気になさらずに。でも』
「でも?」
『店長はやめません? まだ仕事の時間じゃないですし』
「はぁ。では那由さん、なにかご用でしょうか?」
『うーん、勇也さんはいつもお堅いです。なので、来ちゃいました』
「来ちゃいって」
 それ以上口にせず、勇也は動いた。
 外を覗く二人の隣りに滑り込み、目を凝ら……さないでも嫌というほどはっきり見える。
「あれなんだろうねぇ。桜冥王っぽいけどさぁ」
 新垣が、校門に人集りができつつある中央を指差す。
 桜冥王だよ、お嬢さまだよ、ったく。
 勇也は答えず、ケータイに向かって語気を強めた。
「すぐ行きますから、動かないでくださいよ」
『はぁい、待ってまぁ〜す』
 好奇の目に晒されていてもマイペースを守る声に、ため息を吐きたくなるのを堪えて通話を切ると、
「行くって、知り合い?」
 興味津々の鈴白がにんまりと笑う。
「店長、……の娘さんだ。機嫌を損ねるわけにはいかない」
「バイト先の?」
「そうだ。個人経営だからな、上司と直結みたいなもの。ご機嫌伺いも仕事の一つだ」
「うわ、なんか下っ端の悲哀が」
「その通りさ」
 さらに下はいるけど。
 勇也は苦笑し、二人に向かって頭を垂れた。
「つことで、すまない。部活の件はまた今度にしてくれ」
「ま、それじゃ仕方ないな」
 肩をすくめる新垣に、未だ楽しそうな笑顔を浮かべた鈴白が続く。
「大丈夫、あとのことは任せて。登録しといてあげるから」
「おいおい、まだ決めたわけじゃ」
「いいの、いいの。先生にはちゃんと説明するから。これで君も今日から弓道部員だ」
 気安く勇也の肩を叩いた鈴白は、さっと教室の扉を指差し、
「さぁ憂い無くお行きなさい。お嬢さまのところへ」
「そんな大声で」
 周りの目が集中しているのを感じる。
 もう逃げられない。
 この状況、この展開から。
 簡単に噂は広まっていくだろう。
 明日が思いやられるな。
 眉をひそめ、小さなため息を吐いた勇也は、
「ともあれ、すまない。またな」
 軽く手を挙げ、自分の机へ戻り鞄を手に取る。
「今度、お嬢さん紹介してくれよぉ」
「部活もよろしくねー」
 二人の声を背に受け、勇也は早足に教室を出て行った。
 
  ◇◇◇
 
 あぁやだやだ。
 なるべく注目を浴びたくない勇也にとって、目の前の状況は最悪だった。
 人集りは彼女を中心に男子が五、六人。その周りを物珍しそうに眺めながら、ゆったり下校しているのが十数人。しかも数は徐々に増えているのが現状。それでも勇也は突き抜けねばならなかった。
 待ち人が笑顔で手を振っているのだから。
「こちらでぇす、勇也さん」
 話しかけているチャレンジャーな男子生徒らを余所に、那由は勇也だけを見ていた。お陰で周りの視線が一斉に勇也へ集中しはじめる。
 ったく。こうなることはふつーわかるだろうに。
 愚痴りたい心境を胸に秘めっぱなしのまま、勇也は低姿勢で彼らの間に割って入った。
「なぁこの子、お前のなに?」
 那由に無視された男子がターゲットを勇也に絞る。プライドに傷がついた、あたりで難癖をつけたいのだろう。
 君らの思いもわかるよ。だけど相手が悪かったね。
 ほくそ笑みたい思いも堪え、勇也は相手を見ることなく答えた。
「上司ですよ。さ、行きましょうお嬢さま、仕事に遅れます」
「はぁい。では皆さん、ごきげんよう」
 邪気のない笑顔で手を振る那由が背を見せる。
 無惨に打ち砕くよな、この手の人って。
 待ち時間の間になにがあったか定かではないが、容易に想像がつく。だからこそ、男どもの気持ちがわかるのだが、苛つく矛先を向けられるのは困る。
「おい、まだいいだろうが?」
 声に混じった悪意が、勇也をゆっくりと振り向かせる。
 襟元のバッジから判断して一年上、服装も若干乱れている。
 どこにでもいるな、こういうの。
 訓練院にもいた。あのときは互いに悪魔憑き。だからこそ全力で相手したものだ。
 でも相手は人間……冷静にコントロールだ。
 意識を保ち、声に力を注ぐ。
「悪いね。急ぐんだ」
「いいじゃねぇ……か」
「急ぐんだ」
 再度の言葉はだめ押しだった。
 悪魔の威圧。精霊の囁き。呼び名は幾つかあれど効果は同じ。特に言葉を理解する人間にはもう一つの声が重なり、覿面の効果を上げる。
 落ちたな。
 周りの生徒たちから一斉に生気が抜け落ちていく。
 目から力が無くなり、勇也たちを意識しないように視線が逸れはじめる。
 ほんと、相手が悪かったね。
 同情しつつ彼らに背を向けた途端、勇也はたじろぐことになる。
「まぁ、大人げない」
 立ち止まった那由が少し頬を膨らませて睨んでいた。
「あ、いや、これはまぁそのぉ」
「ああいうのは、ちゃーんとコミュニケーションを取って、人間的に丸く収めるのがよろしいと思いますよ」
「人間的に、ですか」
「そうです。ってまさか勇也さん、普段から立場を利用して好き勝手なことを」
「してません、してませんって。今のは緊急回避です、緊急」
「そうですかぁ?」
 目を細めて疑う那由に、勇也は前へ進むように促して隣りに並んだ。
「そうなんです。というより先ほどの原因は那由さんにあるんでは?」
「私にですか。……なんでしょう?」
 小首を傾げる姿は、小悪魔に見える。
 しかし惚けているわけではないのだ。
 そういうところ、抜けているというか、お嬢さま育ちというか。
 周りから好意ばかり受けていたせいとも言えるし、自分の存在が他者にどのような影響を与えるか、考慮したことすらない可能性がある。それだけ、瀬能那由という人物は自由で、自分中心で、なのに奥ゆかしくて世間知らずだったりする。
 財前さん、あなたは一体……って、とりあえず気が重いけど。
 愚痴りたくなる思いを押し止め、真実を口にしはじめる。
「彼らは那由さんと話したがっていたんですよ。そこへ俺が割ってはいる。彼らとしては気分いい状況じゃないでしょう」
「充分お話したのですけど」
「それをあっさり覆してぽっとでの俺とこうして帰っているのが、気に食わなかったのです。彼らは」
「そうだったのですか」
「だったんです」
「じゃ私、傷つけてしまったのですね」
 幾分声のトーンを下げ、うつむいていく姿を見ると、徐々に罪悪感が芽生えてくる。
 ったく、浮き沈みも激しいし、俺が悪いみたいだし。
 こちらの分が悪くなる。
 那由とのやり取りはいつもそうだ。
 取り扱いが難しい。ここ数日、一緒に暮らしていてなんとなくわかった。財前が手を出すのを推奨したのも、今なら納得できる。
 悪い子じゃないのはわかっているけど……それ以上に手強い。
 他人との関わりに対し、ある程度自信を持ってこなしてきた勇也であったが、那由みたいな裏表あるお嬢さまタイプははじめてだった。故に手など出せず、微妙な距離感を保っているのが現状だ。
 しっかしこのままってのもなぁ。
 苦笑したくなるのを、ぐっと我慢して勇也は淡々とフォローへ回った。
「あれぐらいどうってことはありませんよ」
「そう、でしょうか」
「ええ。那由さんのより、俺の威圧が彼らをズタボロにしてますから」
「まぁ……勇也さん酷すぎませんか」
 再び軽く睨まれるも、勇也は気にせず付け足した。
「大丈夫です。いいお灸になりますよ。ああいう輩には。なので那由さんが気にする必要はありません。代わりに那由さんには気をつけてもらいたいことがあります」
「なにを、でありますか?」
「ご自分の魅力についてです」
「私の」
 若干頬を染める那由に、勇也はようやく苦笑を浮かべた。
「いいですか、星鳳は桜冥王と違って共学です」
「そ、それぐらいわかります」
「でもステータスが違う」
「ステータス?」
「桜冥王の生徒が星鳳の校門にいる、しかも魅力が段違いとなれば、浅はかで餓えた狼が放っておくわけがない」
「は、はぁ」
「とにかく、那由さんは人を惹きつけてしまうのです。それを踏まえて今後は校門などに……って、なんで待ってたんです? お車のほうは?」
「宮本には帰ってもらいました」
 再び視線を落とし、那由は小さな声で続けた。
「その、私……勇也さんと一緒に帰ろうと」
 一緒ね、それはわかっていたり。
 恥じらう姿からある程度推察できるも、それだけではない、という思いが強い。
 突然だし。なにしろこの人は。
 疑念を覚えつつ、真意を引き出すべく言葉を選ぶ。
「光栄ですけど、急ですね」
「ごめんなさい。私、勇也さんにご迷惑をかけてしまいました」
 そっちへ行くか。
 さらに落ち込んでいく姿を見て、頭を抱えたくなる。
 仕方ない……サービスだ。
「とんでもない。いやぁ一緒に帰れるなんて、ラッキーって思っていたぐらいですよ」
「そ、そうですか?」
 那由は探るように顔を上げる。
「ええ、でも星鳳ではねと。だから次があったら、俺のほうで待ちますよ」
「いいんですか」
 先までの落ち込みが嘘であったかのような笑顔だ。
 ほんと、立ち直りはえぇ。
 呆れながらも勇也はなんとか言い切った。
「そのほうが無難だからです。まぁメールかケータイで待ち合わせとかしましょう、そのときが来たら」
「では明日からぜひ、お願いします」
 は、早いね。
「じゃ明日……」
 流されている。
 言いかけて気付き、踏みとどまって話を戻していく。
「って、お車で帰るほうが楽じゃありません?」
「それだと一緒には」
 小さな坂が終わり、那由はゆっくりと来た道を振り返る。
「ずっと思ってました」
 なにを? と言って欲しいんだろうな。
 今、那由の脳裏には走馬燈の如く過去の記憶が過ぎっているに違いない。
 お嬢さん、くせ者の癖に乙女心は満載だからなぁ。
 勇也は肩をすくめ、彼女に合わせて振り向いた。
「なにをです?」
「友だちと一緒に下校すること」
「したことが?」
「ありません。桜冥王は小中高一貫ですから。皆変わりません。ずっと車での登下校。それに私……悪魔が憑いてますから」
 悪魔憑きね。幼い頃からだったか。
 那由に憑いているのはダルダディアム。爵位を持たぬ者でありながら、闇の眷属を意味する名を持つ、未だ正体不明の存在。憑かれたのは彼女が六歳に満たぬ時期という。それから十年弱、彼女は悪魔憑きとして生活してきたことになる。
 友だちができないのも、当たり前か。
 悪魔憑きには、それ相応の力が必要だ。
 精神の檻とも呼ばれる、意志の力。
 それによって悪魔を内に宿すことが許され、現世でのゲームに参加している。しかし成人による檻であっても、まれに悪魔の威が漏れることがある。威に触れた他者は知らぬ間に恐れ、威を感じた者から自然と遠ざかっていく。
 幼いならば推して知るべし……好意ばかり受けてきたお嬢さま、ってわけでもないか。
 勇也は軽くうなずき、鞄を抱え直して口にした。
「じゃぁ友だちとして、帰りましょう」
「は、はい!」
 艶やかな黒髪が揺れ、那由が微笑む。
 いい顔している。これにやられたのかもな、財前さん。
 隣りに並んで歩き出す那由に、自然と勇也の口元もほころぶ。
 悪くない気分だ……って、流されっぱなし。
 気付くと同時に眉をひそめる。
 毎回こうだ。いつの間にか彼女に乗せられている。そうだ、これからも一緒に帰ることになって……なんだろうな。俺、下僕タイプなのか。
 自分に対しうんざりするなか、涼やかな声が現実に引き戻す。
「どうしました?」
「あ……いや、ただ」
「ただ?」
「そ、そう、思い出して。俺、部活に入るかもしれません」
「部活、それはすばらしいです」
「ですかね」
「もちろん。私は入れない身ですから。いいと思います」
 一瞬目を伏せるも、那由は笑顔を浮かべる。
「どの部へ入るのですか?」
「まだ決めてはいませんが、弓道部になりそうです」
「弓道、いいですね。それなら充分、競えると思いますよ」
「ええ。最後は心だと、訓練院ではそう教わりましたから」
「精神鍛錬には打ってつけですね……あっ」
 小さな声を上げ、那由が立ち止まる。
「どうしました?」
「部活ならば、あまり一緒には帰れませんね」
「そうなりますが、なるべく仕事に支障は」
 言いかける途中で、彼女の目が見開かれる。
「あぁ!」
「な、なんです?」
「楽しすぎて、忘れておりました」
 ようやくか。これが真意。
 身構えつつ勇也は促した。
「なにを、でしょうか」
「仕事です。だから待っておりました」
 やっぱり。
「はぁ。仕事ですか」
「そうです。私からお伝えするために……今日、勇也さんは外回りに出てもらいます」
「外回り、願ったりですね」
「それだけではありません」
 凛とした響きに身が引き締まる。
「なんなりと、ご命令を」
 笑顔を消した那由が軽く睨み、深く息を吸って言葉を放つ。
「滅殺を、していただきます」
 来た。
 待ちに待っていた。
 口元を歪め、不敵に笑って勇也は答えた。
「了解いたしました、店長」
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