一章 新たな陣容 2

 
 柊勇也の出所許可は瞬く間に知れ渡った。
 しかし祝う者などおらず、大抵が妬みと蔑みの目で見るだけ。許可が降りる前までは気さくに話していた寮生らも、今は腫れ物の如く勇也に接し、避けていく。
「お寒い、けどね」
 気に留める暇が勇也にはなかった。
 なにしろ許可が降りてから伝えられた出所期日は、明日だったのだ。
 慌てて出所の手続きに向かい、ついでにお偉いさん方への挨拶も済ませ、昼を過ぎた頃になってようやく身の回りの整理をはじめだす。
 必要な物だけを鞄に詰め、残りは捨てるべく段ボールへ。
 お手の物だぜ。
 身一つで寮へ放り込まれたのだ。
 その経験が取捨選択に活かされていた。
 お陰で手間取ることなく片付き、ようやく一息付けると思った矢先、口うるさい管理人の婆様が訪れ、命じられるまま部屋の掃除やら壁の塗り替え作業に時間が費やされていく。
 ほんと人使いが荒い。
 ぶつくさ文句を心の中だけでつぶやき続けるも、なんとかやりきったときにはもう消灯時間となり、疲れ果てた勇也はベッドへ倒れ込んだ。
 そんな寮生最後の一日を慌ただしく過ごした、次の日。
 滅殺業者の制服とも言われる黒色のスーツに身を包んだ勇也は、他の寮生らが訓練へ向かったあと、ひっそり静まりかえった寮へ一礼し、周りを囲む巨大な塀を眺めつつ校舎へと向かった。
 現世へと通じる門は訓練院によって異なるが、第十六教養訓練院・通称『フォルゲターナ』では一階にある来賓室そのものが向こうへと繋がっている。そのため来賓室へ至る廊下には幾つかの関門が設置され、認識証をかざさねばならない。
 誰もいない廊下を突き進み、突き当たりを左へ曲がる。
 フェンスが張られた無人の関門が見え、はやる心を押さえながら認識証を手にし、監視カメラへ見せつけるよう掲げたとき。
「不用心だな、柊」
 背後から囁かれると同時に気付く。
 ナイフの刃が首元にぴたりと張り付いているのを。
 きっついなぁ。
 背中にやわらかなふくらみを感じるも堪能するどころではなく、勇也は鞄を手放して静かに両手を挙げた。
「まいった、降参です八塚さん」
「軟弱が」
 耳元で吐き捨てられ、首元の圧力が無くなったと思いきや軽く背中を押される。
「って、なんすか、急に」
 体勢を立て直して振り向くと、刃渡り二〇センチほどのナイフを持ったセーラ服姿の八塚令子が佇んでいた。
 ナイフにセーラ服って似合わねぇ……え?
 いつもは地味な色柄のタンクトップにジーンズというラフな服装しか見てないせいか、やけに新鮮な印象を受ける。しかも似合ってない。昔は似合っていたのだろうが、見事に服のサイズが二ランクダウンしていた。
「なんですか、その格好は?」
 襲われた件を放って問い質すと、ナイフを仕舞っていた令子の顔が一気に赤く染まった。
「へ、変か?」
「……いや、まぁ似合ってますけど、サイズがね」
「それは、仕方ない。二年前の、中学の制服だからな。成長したのだ」
 袖やらウエスト、スカートの丈などを気にする令子へ、勇也はさらに突っ込んだ。
「そうでしょうけど……コスプレですか?」
「ち、違う」
 短い黒髪を振り乱して首を振ったあと、小さく咳払いしていつもの冷静な令子に戻ると、
「正装だ。見送りには正装と決まっている。しかし手元にあったのがこれだけだったから、着たまでだ」
「へぇ、って見送りしてくれるんですか?」
 誰一人見送る者などいない、と思っていた勇也にとってはありがたいサプライズだ。
 例えそれが、変わり者の令子であってもだ。
「ここにいるだろ。いるということは、見送り中ということだが……」
 言葉を濁しつつ、令子が睨んでくる。
「先ほどのふぬけた背中はなんだ? それでよくまぁ世に出る。出所を撤回して鍛え直したほうがいいのではないか?」
「あれ、それって妬みですか」
「違う。お前のためを思えばこそだ」
 真摯な瞳に揺らぎは見えない。
 まったく、恥じらいもなく言っちゃって。
 苦笑するも勇也は肩をすくめ、
「遠慮しておきますよ。それに八塚さん相手じゃ、誰だって気付きませんよ」
「世の中にはゴロゴロいるぞ、あたしレベルなど」
「居たとしても、そう簡単に出会わないようにしますから。それに俺、見習いですよ、見習い。当分下働きです。その間に鍛えますよ」
「鍛える前に、死ぬ」
「気をつけますよ。って、脅しに来たんですか? 見送りじゃなくて」
 呆れたと言わんばかりに横目で睨むと、令子は罰が悪そうにうつむいて答えた。
「違う。見送りだ……お前には世話になったからな」
 世話ね。
 別段何をした、わけではない。
 ただ訓練で度々パートナーを組んだだけ。そのときも足を引っ張ったのは勇也のほうであったが、どうやら彼女の認識では違うらしい。
 ま、口論するのはなんだし。
 切り替えて、勇也は明るめに声をかけた。
「了解です、八塚さん。純粋に見送りってことで、ほんと、ありがたいですよ。なにせ誰も彼も、冷たい対応でしたからね」
「仕方ない。ここにいる連中の思いは、お前もわかっているのだろう」
「それなりには。……だからありがたいのです、八塚さん」
 謝辞を述べながら右手を差し出す。
「あ、握手か。そうだな」
 スカートで右手を拭い、おずおずと手を差し出してくる。
 こういうところで恥じらうんだよな。
 鈍い動きに、勇也のほうから彼女の手を掴むと、
「お世話になりました、先輩。お元気でいてください」
「う、うん、お前もな柊。……あ」
「なんです?」
 聞き返す前に、空いた手でスカートのポケットをまさぐったあと、令子はなにかを掴んだ左手を突き出してくる。
「餞別だ、受け取れ」
「はぁ、どうも」
 右手で受け取ろうとしてもがっちり握ったまま離さないので、仕方なく勇也も左手を差し出すと、手の平に半透明なレモン色の水晶が転がる。
「ほう、綺麗な石で」
「前に行ったろ、ジェラレ峡谷に」
「夏の野外訓練ですね」
 思い出したくもない、おぞましい記憶だ。
 いい出会いもあった、気がするけど。
 思い出す前に頭振って忘れる間、令子の説明が続く。
「最近、寄ってな。レイタムらから薦められた」
 レイタムか。
 辺境の住人『トラム族』の若長だ。訓練のたびに世話になった記憶はあるが、忘れたい記憶でもあった。
「元気にしてましたか?」
「ああ。会いたがっていたがな、柊に」
「またまた」
 苦笑いで返す最中、異なった世界を意識した勇也は眉をひそめた。
「あれ? そういえば、こっちの物質って持ち出し禁止では?」
「大丈夫だ、許可はもらってある」
「根回しいいですね」
「当然だ、なにせこれは……いや、いい」
 次第に赤くなる令子の頬から、ある程度察するのは簡単だった。
 いわく品だな。
 見当付けつつも、一応誘ってみる。
「なんです、言いかけて」
「忘れろ。とにかく持っていけ、それでいい」
「はぁ。ではありがたく。で、この石の名は?」
「コキア石だ。売るな」
 つり上がり気味の目尻がさらに上がるかのように睨んでくる。
「売りませんよ」
「壊すな、無くすな、ちゃんと持っていけよ」
 声が強くなるのと連動して、忘れていた右手の握手が強まっていく。
 これだからなぁ。
 寮生らから猪突猛進型と揶揄される所以だ。
 勇也はしびれを切らし、右手を振って口にした。
「わかりました。わかりましたから、そろそろ離しませんか」
「……お前が握っていたのだ」
 照れ隠しですね。
 半眼で睨むと、またも令子はうつむく。
 まったく、困った人だ。
 解放された右手を揺らし、いただいた水晶を胸ポケットに入れ、代わりにメモ帳を取り出す。
「ともあれ、ありがとうございました。大切にしますよ」
「う、うん。そうしろ」
 未だうつむく令子を前に、暗記していた情報をメモ帳に書き込むと、
「しかし俺、お返しまったくないんで」
「い、いらぬ、気にするな」
 慌てて顔を上げる令子に、記入したページを破って差し出す。
「これは」
 手にした紙と勇也の顔を見比べる令子に、
「まだ住む場所わからないので、とりあえずお世話になる財前さんの事務所や、入学先です。ケータイとか持っていたら別なんですけどね、俺たち連絡手段ないじゃないですか」
「そ、そうだな」
「いずれ八塚さんが出所したときにでも、御連絡ください」
「する、絶対するから」
 紙切れを両手で握りしめ、決意表明の如く溢れる気迫に一歩退きたくなったとき。
『あぁ二人の仲を裂くようで気がひけるのだけど。そろそろいいかね、勇也くん』
 二人の視線が関門上にある監視カメラへ向く。
 こ、この声って。
 財前だ。
 慌てて腕時計を見ると、予定の時間はとっくに過ぎていた。
 やっば。時間厳守の人だからなぁ。
「今行きます、すぐ行きます、しばしお待ちを」
 矢継ぎ早に答え、令子に向き直って最後の別れを口にした。
「じゃ八塚さん、そういうことだから」
「わ、わかった。それでは……つ、次会うときは、あたしが女子大生だ」
「は? あれ、進学するんですか」
「そ、そうだ。だからそのときは」
 次第に声が小さくなるも、深呼吸した令子は仁王立ちして宣言する。
「女子大生なあたしが、お前を誘惑してやるから!」
 へぇ誘惑ですか。……へ?
 理解がはじまるのだが、イマイチぴんと来ない。
 たしかに八塚令子は変わっていても女だ。スタイルもよく、顔だけなら寮生のなかでもトップテン内に食い込むという噂を聞いたことがある。しかし勇也にとって今までの経験が、令子を女性としてよりも戦友として意識させていた。
 いい女かもな。
 今はじめて認識したと言っても過言ではない。
 だからか、黙したまま小首を傾げる勇也であったが。
「お、おい。そろそろツッコミを入れろ。無反応は対応に困る」
 そっぽを向いての催促に、我へと返り口走った。
「あぁそうですね。じゃお一つ、先輩も女だったんですね」
「そ、そうなんだ、あたしも……」
 にこやかに答えるのもつかの間、徐々に令子の頬が引きつりはじめる。
 地雷を踏んだね。でも悪くない気分だ。
 口元に笑みを湛えたと同時に、背後でロック解除の音が鳴る。
「ひぃらぎぃぃ、お前という奴は!」
「まぁまぁ、冗談ですから」
 飛びかからんばかりの令子へ笑って答え、鞄を抱えた勇也は反転して関門をくぐった。
「待て、一発殴らせろ」
「遠慮します」
 さくっと返すなか、灰色のフェンスが閉じる。
 二人の間に区切りが入り、ようやく互いに踏ん切りがついていく。
「それじゃ、さようならです、先輩」
「くっ、覚えてろ柊」
「ええ、期待してますから、誘惑を」
「ひ、ひぃらぎぃ」
 悔しさにフェンスを握りしめる令子を背にし、急ぐべく走りはじめる。
「クソ、絶対に、絶対にぃ覚えてろ、柊勇也!」
 令子の絶叫に手を振って答え、認識証を手に次々と関門をくぐり、突き当たりにある来賓室前へ到着する。
「認識番号一〇一五番、柊勇也。ただいま到着しました」
「遅いぞ、入れ」
「はっ」
 ちらっと振り返り、未だ見送る令子へ一礼し、勇也は来賓室の扉へ手を掛けた。
 ここから、俺は。
 次の段階へ進む。
 今までが過去となり、新しい生活がはじまるのだ。
 その一歩がここだ。
 掴むドアノブに力を入れ、勇也は扉を開けた。
 視界に部屋の風景が広がっていく。
 へぇなるほどね。
 感心しながら一歩踏み込み、過去への扉が閉まっていく。
 入所時にも通ったらしいが、当時は気絶したままで気付いた時には寮の部屋だった。故に来賓室へ踏み込んだのは初と言っていいが、来賓室というよりもどこかのラウンジ、喫茶店と表現した方がいいような雰囲気だった。
 幾つものテーブル、右奥にはカウンター。しかし店員の姿はなく、中央の席で動く人影があるのみ。
「こっちだ、勇也くん」
 立ち上がる黒いスーツの男。
 黒髪をオールバックに、細い銀フレームが映える眼鏡を掛けた滅殺業のエリート、財前隼人だ。
「遅れました、すみません」
 一礼し、財前のもとへ急ぐ。
「五分の遅刻だ。今後は注意してもらおう」
「はっ」
 訓練時のまま敬礼する勇也に、財前は微笑んだ。
「まぁいい。それなりに面白い見せ物だったからな」
「あ、あれはその」
「わかっている。君の恋路に口を挟む気はない。気にするな」
「恋路って」
 反論する前に財前は奥の扉へ歩きはじめる。
「行くぞ、時間だからな」
「は、はい」
 足早にあとを追い、一歩下がった状態でついていく。
 奥の扉はガラス張りであり、灰色の壁に囲まれた通路がはっきりと見える。
 一直線だな。
 左右の壁に仄かな明かりが等間隔にあるだけで、あとはただの長い通路だ。
「たしか、はじめてだったな」
「はい、入所時の記憶、ないですから」
「では堪能したまえ、と言いたいところだが、拍子抜けだろうな」
「と言いますと?」
「境界はここだけだからさ」
 そう言ってガラスの扉を開き、踏み込んでいく。
 勇也も続いて扉を通り、先へ進む財前を追いつつ振り返る。
「今のですか」
「ああ、今のだ。君はもう乗り越えたんだ、世界の境目を」
「あれだけですか。あっけないですね」
「そんなものさ、現実なんてな」
 現実、か。
 前を向くと同時に、気持ちが引き締まる。
 なにしろこれから、新たな現実に直面する。今まで虚構と思っていたものが、実在する世界に踏み出すのだ。
「幻滅したかい?」
「少しは。でも無知よりマシです」
「だな。知ることは大事さ。まぁこれから嫌と言うほど体験するだろうが」
「もう、前とは違うんですね」
「違う。今まで闇にあった秩序が、ある程度日の光に晒された悪魔の世界だ」
「悪魔、ですか」
「表向きは精霊と言うがね。実際はそうだ。ただ対となる存在が消えてしまったが」
 対となる……光りか。
 すべては十一年前の東南アジア大戦の影に隠れた出来事に起因する。いや、大戦が隠れ蓑であり、本当に起こったことは別の戦い、その一部が時空を越えて雪崩れ込んだに過ぎない。
 そして戦いのあと、彼らは去っていた。
 勝利したのではなく、去ったのだ。
 どこからも。
 敵の軍勢はかき消え、残った世界は一方へ譲られた。
 この事実が、彼らのなかで急激な変化をもたらし、混沌とした新たなる陣容が表面化してしまったのだ。
 知らなければ。墜落さえなければ。無知でいたままのほうが、幸せだったんだろうか。
 ふと懐かしき日々を振り返りそうになったとき、財前の声が勇也を今へ引き戻す。
「そうだ、忘れていた」
 あと一歩で次の扉に手が掛かるところで、財前は振り返った。
「なんでしょうか」
「君の住まいの件で伝えることがある」
「そういえば決まってませんでしたね、寮ですか?」
「寮ではない。ただ最初から決まっていたんでな。だから後回しにしていたのだが、君は私の館に住んでもらう」
 財前さんの? たしか山手町の……いいのか?
 高級住宅街に場違いな館を建てた男、という評価を聞いたことがある。
 それもこれも、彼が契約している『モノ』による影響なのだが、知らない者は『変人』や『成金野郎』などと陰口を叩く。財前を指名したときも、斡旋課の連中はいい顔をしなかった。
 どうする。受けるのか?
 躊躇する勇也であったが、財前は返事を待たずに続けた。
「君に拒否権はないが、同居するにおいて君に守ってもらいたい掟がある」
 ないわけね。
 拒否権を否定されては、言いなりになるしかないのが勇也の立場だ。
「なんでしょうか」
「簡単なことだ」
 取り出した黒革の財布から、一枚の写真を突きつけてくる。
 少女だ。
 赤いリボンが胸元に映える白いセーラ服を着て、振り返っている。
 年の頃は勇也と同じか、少し上程度。そう感じるほど大人びた印象を与える、黒髪の長い少女が見返り美人の格好で写っていた。目を見開いているところを見れば、いきなり撮ったのだろう。
 上玉だな。
 令子では気付くのに時間を要したが、写真の少女はすぐに結果が出せた。それだけレベルが違ったのだ。
「なんです? この子」
「もう一人の同居人だ。歳は君と同じ。しかし先輩でもあるから」
 悪意がこもった笑みを浮かべた財前は、淡々と口にした。
「彼女に逆らうな」
 まぁ先輩なら……先輩?
 引っかかりを覚えるなか、さらに条件は増えていく。
「瀬能那由が君の上司であり、先輩だ。いいか? 逆らわず、言うことを聞き、仲良くするんだ。それが君の守るべき掟だ」
「は、はぁ」
 言っていることはわかるも、真意が掴めない。
 いぶかしむまま答える勇也に対し、写真を大事に収めた財前は眼鏡を押し上げ、笑みを消した。
「先ほどは君の恋路に口を挟まないと言ったが、那由くんに関しては別だ」
「はっ、彼女には決して手を出さすな、ですね?」
「いや、違う」
 へ?
 否定されて一瞬戸惑う。
「積極的に手を出していい。応援しよう。まぁ、出せるなら、だが」
「つまりそれって」
「もちろん彼女も悪魔憑き、我々と同じゲストだ」
 言い放った財前は扉へ手を掛け、ゆっくり押し開いていく。
 なるほど、たしかに先輩だ。……どうりで自信あるわけだ。
 思惑をある程度汲み取り、一人納得する。
「わかったならいくぞ」
「は、はい。了解しました」
「では……悪魔が支配するゲームへ、ようこそ柊勇也」
 現実がゲーム。
 だからこそ真実が。
 俺の敵が。
 扉を開け放って出て行く財前のあとをまぶしく眺めながら、勇也は新たな世界への一歩を刻んだ。
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