一章 新たな陣容 1

 
 漆黒の扉を前に、少年は大きく深呼吸してガチガチになった肩をほぐす。
「よし」
 小さく気合いを入れ、ドア・ノッカーを二回鳴らして声を張り上げた。
「認識番号一〇一五番、柊勇也。出所審問、受けに参りました」
「入れ」
 幾分掠れた声だ。
 聞き覚えがあるため、勇也は眉をひそめる。
 サイモンかよ。運がない。
 寮生らの祝杯をあげる姿が脳裏を過ぎる。
 出所審問がたった一人、勇也だけに認められてから一週間。寮生仲間らの話題は、勇也の担当が誰になるのかで持ちきりだった。終いには賭けにまで発展し、一番人気は他を圧倒してサイモン教授。
 理由は簡単だ。
 担当した訓練生の出所率がここ数年最低ラインをキープし続けているのがサイモンであり、必ず落として『来年がんばりたまえ』が口癖だと囁かれる、通称鬼のサイモン。
 つまり、彼らは勇也の出所を願っていない。
 もちろん勇也だから、ではない。
 誰に対してもだ。
 自分以外は落ちろ、というのが第十六教養訓練院に属する者たちの共通認識。
 ドアノブに手を掛けるも、開けるのをためらう。
 落ちる、落ちた、落ちてしまう。
 ネガティブな言葉を意識し、テンションダウンを感じはじめる。
 クソ、ダメだダメ。
 頭振り、勇也はドアを睨んだ。
 これはチャンスなんだ。絶好のな。
 地獄から抜け出し、新たな生活を、そしてやらねばならぬことをやるための。
 サイモンがなんだ。祝杯など、あげさせてたまるものか。
 気を引き締め、ドアノブを握る手に力を込めて漆黒の扉を開けていく。
 審問用の部屋だ。
 無駄に広いが窓もなく、明かりと言えばテーブル上にある仄暗いランプだけ。
 理想的な一対一……だがなぁ。
 ゆっくりと扉を閉め、明かりのもとへ歩を進めるにつれ思いは高まる。
 このシチュエーション、来るね。
 不気味なのだ。
 目の前に佇む、白髪の紳士が。
 しかも彼の真っ赤な唇は優雅な笑みを湛えていた。
「かけたまえ、橘勇也」
 軽いジャブだ。
 しかし勇也にとって、緊張と恐怖の呪縛を解くにはちょうど良かった。
「いえ、私は柊勇也です」
 相手を見下ろして名を強調する。
「橘は捨てたか。どうだ、偽名には慣れたかね」
「名字だけの変更です。さして違和感はありません」
「そうか。君がそれでいいのなら言うことはない。ではかけたまえ、柊勇也」
「はっ」
 短く答えて席に着くと、黒い本を開けたサイモンが勇也の経歴を読み上げはじめた。
 平凡な中流階級に生まれ、家族構成は父、母、妹の四人。地元の幼稚園、小学校そして中学校へと進み、例の事故にさしかかったところで、サイモンの視線が勇也を射抜いた。
「悲惨な事故だったな。まだ癒えてはなかろう?」
 当然だ。
 あれから一年半しか経っていない。
 忘れることなどできず、時折夢に見てはうなされ続けている。
 でも審問だ……どうする。
 選択に迷うも、勇也は率直に答えた。
「あれだけの事故です。癒えるほうがおかしいと思います」
「人間故に、だな」
 微かに笑うサイモンを見て、選択を誤った気がしてくる。
 って、これも揺さぶりなのかな。
 思い直す合間にも、サイモンの読み上げは続いていく。
 事故から唯一生き残った勇也への騒動、家族との別れ、養護施設から第十六教養訓練院へ入所。そこから一年経ち、今に至るまでの成績で締め括られた。
「ほとんどC以上。語学に秀で、体力に問題なし。基本スペックに問題はないな」
「ありがとうございます」
 一応礼を口にするが、油断はしない。
 基本は、だろう?
 予期していた通り、サイモンは微笑んだ。
「ただし、一つを除いてだが」
「それは重々、承知しております」
「わかっているのなら話が早い。どうするのだ、君は?」
 来たな。
 答えは用意してある。今すぐにもすらすら言える自信はあった。
 でも駆け引きしないと。
 これは世に出るための審問なのだ。
 馬鹿正直では生き抜けられない世界なのだから。
「どうする、ですか」
 歯切れ悪く答えて間を作ると、予定調和の如くサイモンが提示してきた。
「君が希望している滅殺業務は悪魔……と言ったら怒られるか。ともあれ精霊または、精霊憑きとの対峙がメインと言ってもいい。しかし君は精霊とのコンタクトがいまいちのようだね」
 たしかに俺の欠点、だけどあいつが。
 あの事故で出会った女、名をラスティムゥア。
 その筋に詳しい人々は、かような存在を精霊、もしくは悪魔と呼ぶ。
 生き残った勇也が数奇な変遷を経て、この訓練校へ放り込まれたのもすべて、ラスティムゥアと契約したがためだ。
 なのに契約後、ラスティムゥアとの接触は片手で数えるほどしかない。呼びかけてもまったく応答しないのだ。寮生らからは、引きこもり持ち、脳内彼女、レアモンスターなど散々なあだ名を付けられ、精霊力操作テストに至っては赤点に近いラインをマークし続けていた。
 お陰で足引っ張られ、ここでも立ちはだかるわけだ……しかし。
「コンタクトに関しては今後も鋭意努力していきます。ですがパワーに関しては、それ相応の自負があります。滅殺業務に支障は来さない、そう思っております」
「支障、それで済むならいいが」
 ため息混じりの言葉に、ありありと『呆れた』感が含まれている。
 ミスったな。
 舌打ちしたいのを押し止め、勇也は口走った。
「認識不足と思われても仕方ありません。しかし考えてはおります」
「知っているよ。見習いからはじめるつもりなんだろう」
「は、はぁ。そうなんですが」
 やべ、下手打った。
 相手は審問担当官なのだ。勇也の希望が知られていて当然だった。
 若者の勇み足を楽しむかのように目を細めるサイモンは、手元の黒い本をめくりつつ常識を口にした。
「滅殺業を目指す者はそれなりに時間を置くものだ。そう、せめて三年は修練を積む。しかし君と来たら……まぁ考えてはいるようだがね」
 サイモンはめくる手を止め、指で挟んだページを見せてきた。
 そこには細い銀色フレームが特徴的な眼鏡を掛けた青年の写真と、詳細な履歴が書かれていた。
 男の名は財前隼人。
 滅殺を生業とし、数年前は若手のホープと噂され、今では世界規模で仕事を受注している業界のエリート。
「彼が君の後見人になるそうだね」
「はい、希望が通りました」
「すでに数回の面会有り。いろいろ示唆されたかね?」
 された。
 正直に言えば数々の審問対策だって伝授されている。
 模擬的な審問も財前相手にやっており、今冷静に対処できるのもすべて彼のお陰と言えた。
「アドバイスはいただきました。ほどほどにですが」
「ほどほどね……こちらには君が出所したあとの進路まで提示されていたがね」
 ほくそ笑むサイモンに対し、勇也も苦笑いで返す。
 進路って。こっちの計画すら行ってんの? 財前さん、なんも言わなかったな。
 連絡ミスであり、ガードしすぎた。
 仕方ない、ここはさらけ出すか。
「財前さんには、ちょうど良いからと高校進学も勧められました」
 サイモンの白い眉がひそめられ、本を手元に戻してページをめくっていく。
「向こうは三月下旬頃か。入学式は近いと。時期的にも年齢的にもちょうど良いタイミングだな。もう特別入試は受けたのか?」
「はい。横浜の私立星鳳学園を受け、合格もしました」
「手回しがいい。これは計られたな、財前に」
 本を閉じ、片手で頬杖をついてサイモンは続けた。
「知っているかね、柊くん。財前は私の教え子なのだよ」
 まじか。
 頬が引きつる感覚を覚えるも、勇也は平静を装って答える。
「……いえ、初耳です」
「だろうな。彼の担当官も私だ。まぁ奴に教えることなどなかったがね。奴は筋金入りの悪魔憑き、故に知恵もよく働く。まったく困った奴でね」
 愚痴るサイモンであったが、楽しそうにも見える。
 そんだけ親しいのかもしれんが、どうなんだ? 俺に有利と働くのか?
 などと考えていたことが顔に出ていたのか、サイモンが先手を打ってきた。
「しかし、それとこれとは別問題だ」
「わ、わかっております」
「なら良いが。……では最後の審問と行こうか」
 もうかよ。
 担当官によって時間配分、重要設問などは違う。財前によれば通常、三〇分ないし四〇分は質問攻めを食らうというが、勇也の場合、席に着いてから一〇分も経っていない。
 やばいのか。ここから巻き返せるか?
 嫌な予感がちらつくなか、頬杖を解いたサイモンがじっと睨み問いを口にしはじめた。
「君が世に放たれるということは、羊の群れに餓えた狼を放つのと同義だ。滅殺業ともなれば人類に対し、生殺与奪のライセンスも与えられるのだからな。……そこで君に聞きたい。君は世に出て、なにを成したいと思っているのだ?」
 来た。
 最大の問いであり、答えが即決着に繋がる。
 正解はない。まっとうな答えを言っても、鼻で笑われるだけだ。
 肝心なのは内にこもる、衝動のみ。
 財前からのアドバイスを思い返しながら、勇也は軽く息を吸い答えていく。
「私がやりたいことはただ一つ。あの事故、SSA444便がなぜ墜落したのか、真相を究明したい、それだけです」
「あれは、事故として片付いているが?」
「私は事故だと思っておりません。あれは事件です。何者かが故意に犯した事件だと、推察します」
 一歩も退かず、という気構えでサイモンを睨む。
「事件か」
 小さくつぶやいたサイモンは、再び黒い本を手に取りページをめくりはじめる。
「SSA444便がレーダーから消えたのは四国沖の太平洋上空、午前九時四八分。消息が途絶えてから丸一日かかって発見された場所はベトナム北西部の山岳地帯。機体は跡形もなく、瓦礫同然の状態であり、死亡者・行方不明者は多数、生き残ったのはただ一人という、近年まれに見る大惨事であり、不可解な事故」
 視線が合うも動じることなく睨み返すと、白髪の紳士は微かに笑ってページをめくり、
「ブラックボックスは回収されたが事実は公にならず、加熱する報道も一週間後には落ち着きを取り戻すが、生存者に対する取材攻勢はかなり長く続いた……このあたりは君がよく知っているな」
「ええ。まったく報道されませんでしたけど」
「上層部が握りつぶしたからな。まさかこの件に悪魔、おっと精霊の世界が関わっているとは言えまい。秩序を守らねばならぬのだから」
「それは、重々承知しています」
「だが君は疑っている。たしかにおかしな話だ。レーダーから消えて飛び続けた空白の時間もあれば、ほぼ無傷と言ってもいい君の存在もある。向こうで騒がれるのも当然だが、我々の世界ではある程度の答えが出ているはず。これも君は知っているな?」
「はい。知っています」
 出ている答えは事故だ。
 不慮の事故。
 次元の相異によって偶然出来た穴にSSA444便が飛び込み、狭間を抜けて別世界へ現れた際に機体を損傷し、墜落。その後、現世との因果律復元現象により墜落した機体は現世へと戻された。
 すべては偶然に起こったこと。
 勇也の存在すらその枠に収め、希に起きる現象が重なったに過ぎないとして片付けられている。
「ですが、知った上でなお私は事件だと言い切ります」
「それだけ、納得できぬと?」
「できるわけがありません。なにがしかの事実が隠されているはずです」
「事実か。言い切る理由が知りたいところだが、やはりラスティムゥアかね?」
 そうさ、あいつはあの場所に。
 炎を退け、場違いなドレス姿で現れた女。
 属性は氷であり、階級は女王。
 しかし眷属や領地を持たず、世界を流浪する孤高なる悪魔。
 唯一見た微笑みを思い返しながら、勇也はうなずいた。
「彼女はなにかを知っています。まだはっきりとしたことは聞けてませんが、なにかを隠している、そう思えてなりません」
「強い疑念か。まぁ調べたとはいえ契約者の君越し。こちらの調査委員でも手は出しづらかったかもしれん。……しかしあの場に居たのは事実、明るみに出ていない情報を持つ可能性はあるが黙して語らずと。さすが氷の女王、と言ったところか」
 軽く唸ったサイモンはさらに黒い本をめくり、手が止まったと思いきやおもむろに一ページ丸々破いてしまう。
「ともあれ君のコンタクト能力が低いのは、その辺に原因があるのかもしれない」
 言いつつ、破ったページを勇也の前へ置いた。
「これは?」
「君にあげよう。少し読んでみたまえ」
 薄明かりに照らされた紙は羊皮紙の如くごわごわしていたが、印刷された字はすべて日本語であり、ある人物の経歴が書き込まれていた。
 名を成井良司。
 貼り付けられた写真は証明用に撮った代物ではなく、隠し撮りに近いぼやけた画像だった。それでも男の鋭い目付きは印象に残る。なのに経歴はごく平凡な代物で、今は古物商を営んでいるらしい。
「この方がなにか?」
「情報屋だ。初回は必ず対面が心情の男だ。ケータイやネット経由での依頼は二度目から。住所はそこにあるとおり。その紙を持っていけば、話ぐらいは聞くはずだ。まぁ京都だから、君が行くには少々難があるやもしれんな」
 京都か。気軽に行ける距離じゃないな。
 行程を思い描くも、ふと考えが止まった。
 あれ? なんで情報屋が?
 手にした紙を再度見つめたあと、恐る恐るサイモンを伺い、
「これって、どういうことでしょうか?」
「なんだ、勘は鈍いようだな」
 皮肉を口にして本を閉じたサイモンは、すっと目を細めて続けた。
「定番の答えは、二〇一〇年に起こった東南アジア大戦時におけるパラダイムシフト論、またはデダーナの歴史研究。はては人類社会での正義代行など、どれもよくある陳腐なものばかりだった。しかし君が提示した答えは違った。君だからこそ、という面もあるが」
 こ、この流れは。
 頬がゆるむのを堪え、勇也はじっと聞き入る。
「君が真相へたどり着くまでに、何を得て、何を失うのか。そして行き着いたさらに先へ向かうとき、どういう判断を下すのか。実に興味深いと思ってね」
「つまり、それって」
「合格だ、柊勇也。衝動のおもむくままに行くがいい」
 よし!
 テーブルの下で小さく拳を握ると同時に、満面の笑みを浮かべて勇也は声を上げた。
「ありがとうございました!」
 
  ◇◇◇
 
 将来ある若者は、息せき切るかのように部屋を飛び出していった。
「元気はいいが、いつまで続くか……楽しみかね、財前」
 呼びかけながら左側の壁を睨むと、次第にドアが浮かび上がり、音もなく開いていく。
 監視部屋だ。
 幾多のメンバーが審問を見届けるべく居たはずだが、今はもう一人の気配しかない。
 財前隼人。
 なじみ深い気配がゆっくりと動き、暗がりから答えが返ってくる。
「楽しみですよ」
 ゆっくりと薄明かりに黒いスーツ姿が浮かび上がっていく。
「しかしドクター・サイモン、あなたも同様では?」
 細面に笑みを浮かべ、財前は眼鏡を押し上げる。
「たしかにな。……ほかの連中はどうだ?」
「茶番だと申しまして、早々にお帰りで」
「だろうな。彼らもここで尻尾を出すとは思っておるまい。実際、彼女は黙したままだ」
 手元の本を懐に収め、席を立つ。
「検証は第三段階へ、ですか」
「そうなるが、後見人が君とはな。どういった風の吹き回しか?」
 ちらり見やると、仁王立ちした財前は悪びれる風もなく淡々と答えてきた。
「べつに私は氷の女王に興味ありませんよ。レア物だとは思いますがね。ただ柊くんが私を指名した、それだけのことです」
「だが君は、すでに一匹飼っているはずでは?」
「一匹とは。レディに失礼ですよ」
 レディ……そういうことか。
 思い返すと同時に、好奇心が口を突いた。
「あの子は何歳になった?」
「今年で十六になります。いい女に成長中ですよ」
「君の手柄ではあるまい」
「いや、結構がんばりましたよ。特にお嬢さま学校へねじ込んだときなんてもう、私まで面接受けましたから」
「よく受かったな」
「それはもう……苦労話、語りましょうか?」
「遠慮しておこう。それよりどうする気だ?」
「どうするとは?」
 財前はすました顔で小首を傾げてくる。
 今更しらばっくれるとは。
 元教え子であり、数年前までは観察対象であった男だ。企んだとて筒抜けというものだが、財前は図太い。
 まぁいい。
 サイモンは声を出さずに笑い、勇也が出た扉へ向かう。
「お聞きにならないので?」
 背後からの声を無視し、ドアノブに手を掛けたサイモンだったが、
「好きにすればいい、と思ったまでだ」
「よろしいと」
「いいさ。そのほうが面白い見せ物になりそうだ」
 彼女がどう出るかもな。
 ほころぶ口元を片手で撫で、財前を見ることなくサイモンは審問部屋をあとにした。
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