終章 強行軍は道連れ

 
 溜まりまくった報告書の山とメーベルが格闘しているとき、その報は届いた。
 二言三言かわして回線を切ったメーベルは、手にした筆を書きかけの報告書へ置いて、椅子から立ち上がる。
 無言で窓際へ寄って、寝静まった街を眺めた。
 今は雨も上がり、動く者たちも少ない。
 真に静まり返った街だ。
 その静かさが、今のメーベルにはありがたかった。
 なんだろう。この気持ち。
 報告を聞いてから、妙にざらつくような感じがあった。
 悪くない報告だ。むしろ望んでいた報告なのに。
「晴れないわ」
 小さくつぶやき、メーベルは窓を開け放った。
 雨上がりの湿った空気が、春の風に乗ってゆるやかに頬をなぶる。
「悪くないのだけど」
 メーベルは大きく吸って、静かに息を吐いた。
 私らしくないな。
 すべてはあの報告からだ。
 ダンの『時の選別』合格。彼はやり遂げたのだ。気まぐれな女神にも認められたということだ。
 合格、それ自体は喜ばしい。
 配属先もベスタと決まっている。
 優良な駒が手元に来るのだ。計画の補強には持ってこいだった。
 なのに心重くさせるのは、合格への過程を知ってしまったからだ。
「友人殺しか」
 避けられぬものであったとしても、尾を引くことは間違いない。
 しかし越えてもらわねば。彼に未来はない。
 ウストカラベドが囁いた運命への抗い。それにはダンの未来も含まれる。
 私が歩む道よりも、あなたの進む道のほうが険しく、果てしないのかもしれない。
 だから祈る。同じ者への憂いを込めて。
「あなたに幸運を」
 そして微かな笑みを浮かべたあと、メーベルはそっとつぶやいた。
「ようこそ、獣道へ」
 
  ◇◇◇
 
 まさしく強行軍だった。
 合格者に休む暇無し。
 ダンもまた、友の死を嘆く間もなく流れに翻弄されてしまった。
 死者を含め、全員の下山を確認し終えた夜半。中庭にへたり込んだままの状況で、解散式は行われた。
 あっさりとネリーが祝辞を述べたあと、スエントへの挨拶をすることもできず、待機していた三台のドムフへ合格者八九名が詰め込まれ、行きと同じく一日かがりの強行軍となったのだ。
 皆疲れ切り、ドムフの中では誰もが眠りへと落ちた。
 ダンも同様で眠りに眠った。
 お陰で起きるときには、探しに来た執行委員にたたき起こされるというていたらく。
 結局、ドムフは昼過ぎになってようやく、王都ゴズダーンにある警邏組織『アスラゴラス』本部に到着したが、ここでも強行軍は続いていた。
 到着してすぐに任命式がはじまったのだ。
 あわてて、支給された守護警士の制服に着替え、お偉いさん方のくだらない説教混じりの訓辞と祝辞を聞き、起立と敬礼と着席を何度も繰り返しただけの任命式を終えたあと、配属先とドムフの切符を渡されて、たった八九名となった一四五期生は、新たな守護警士として散り散りに派遣されていった。
 なんなんだ、この扱いは。
 呆れながらも手渡された切符に従い、ダンは王都中央アルタント駅でベスタ行きのドムフへ乗り込んでいた。
 乗客者も少なく好きな席を選べるなか、ダンは奥へ奥へと進み、後部座席の右隅っこの席に陣取った。新たに支給され若干多くなった荷物もすべて収納棚に放り込み、溜まった疲れを癒すかのように布地が張った椅子へ身をあずけた。
「あぁやっと一人に」
 そうつぶやいたときだった。
「すみませーん、これ、ベスタ行きですかぁ?」
「あぁそうだよ」
「おぉぉよかったぁ」
「もう出るから、乗るんなら早くなぁ」
「あ、はい、了解しましたぁ」
 やけに元気の良い声が運転座席近くから聞こえた。
 応対したのは、気の良い親父風な運転士だろう。
 お子さまですか……なるべく静かな旅行をしたいもんだぜ。
 などと思っていると、徐々にあの声が近づいてきた。
「あ、すみませーん。どもどもー。あ、ごめーん」
 通路を進みながら平謝りしているらしい。
 なぁにやってんだか。
 呆れながらも無視を決め込み、目を閉じようとしたダンであったが、
「あぁ! 私の席がぁ」
 間近で叫ばれ、あわてて相手を見た直後。
「あぁ! 運命の人だぁ」
「うそだ」
 思わず現実を疑う。
 目の前にいたのは、あのぽやっとして、えへっと笑う、どうしてこんな奴があの試練を乗り越えて守護警士になれたんだ、と誰しもが思わざる得ない、デア・グッド・ポエトラだったのだ。
 まぬけな声を聞いたときに気付くべきだったな。
 頬が引きつるダンを余所に、ポエトラは嬉々として喋りはじめた。
「どうしてですか、どうしてダンがここにいるんですか。え、ということはもしかして私たち、同期ですか、同僚ですか。いやーん」
「ぼくもいやーんだ」
「あら、気が合いますねー」
 屈託のない笑みを浮かべたまま、ポエトラは荷物を奥の座席に放り込んで、ダンの隣に座ってきた。
「あの、ほかにも席があるでしょうが」
「いいじゃないですか。それにそこ、私の席だったんですから」
「指定じゃないでしょ」
「えぇでも後部座席の右側は私専用なんですよ」
「誰が決めた、誰が」
「私がぁ」
「却下だ、却下。そんなもん即却下だ。隅っこが良いのなら左側行きなさい」
「えぇー。でも今はダンの隣がいいです」
「ぼくが迷惑だ。というよりも、君に言っておきたい」
「なんです?」
 小首を傾げた姿はまるで子犬か子猫だ。
 よくもこんな奴を合格させたもんだ。なに考えてんだ。
 ネリーらの顔を思い浮かべては鉄拳を見舞うなか、はっきりとさせるべくダンは言い切った。
「あのね、ぼくと君とは、まだ知り合ったばっかりで、なーんにも親しくないのです。ということは、呼び捨てってよろしくないでしょう。せめてダンさん、ダンくん、とかにしてくれないか」
「えぇー」
 うっすらとそばかすのある頬を膨らませる不満顔へ、ダンはさらに追い打ちをかけた。
「ぼくはそういうあたり、しっかり区別しておきたいのでね」
「同期じゃないですかー」
「同期でもだ」
「仲良くしましょうよー」
「ぼくにも人を選ぶ権利があると思うが」
「運命感じた仲じゃないですかー」
「な、なんだそれ。ぼくはまったくないぞ、まったく」
「またまたぁ、照れちゃって」
「おぉぉい、なんでそうなる!」
 魂を込めた否定だったが、他の乗客の激しい咳払いが聞こえ、ダンとポエトラは一気に押し黙った。
 あぁなにやってんだろうなぁ、ぼくは。
 深いため息を吐いたとき、座席の下から微妙な振動が伝わってきた。どうやら真石動力に火が点ったらしい。徐々に車窓もゆるやかに流れはじめていく。
 さらば、アスラゴラス……かな。
 などと感慨に耽っていると、側から小さな声が聞こえてくる。
「とぉにーかく、私はイヤです」
「なにが不満なのさ」
「呼びにくいです」
「……一理ある」
「じゃ、お互い呼び捨てでぇ」
 彼女のしつこさや雰囲気などから、まともに相手をしては勝ち目がないことを悟ったダンは、言い争うのをあきらめて投げ出した。
「よろしくどうぞ」
「はい、よろしくです、ダン」
 茶髪の弾頭が寄りかかってくるのを、肩のみで弾き返す。しかし何度も何度も繰り返してくるポエトラのしつこさに、ダンはまた根負けした。
 妙な重みを左肩に感じながら、流れゆく車窓へ目を向ける。
 それと共に、様々な思いが去来してくる。
 ぼくはこれから。どこへ向かうんだろうな。
 行き先はベスタだ。
 それはわかっている。わからないのは、人生の行く先だ。
 守護警士を全うできるのか。それとも……。
 あのとき。
 友人を殺してまで手中にした人生は。
 すべて、脳裏に響いた声によって先行きがさらに不透明となってしまった。
 ぼくの……修行の終わり。
 響いた声は、師匠のものだった。
『俺の暗示を解いたようだな、ダン。とりあえず修行は終わったらしい。おめでとう、と言っておこう』
 そんな前置きではじまった師匠からの真術伝言は、驚愕に満ちたものだった。
『しかしダン。残念ながら喜んでばかりもいられないのだ。お前が俺の暗示を破ったのならば、俺はお前を倒さなくてはならない。それだけ、お前は危険な存在となってしまったということだ』
 なにを言っているのか、まったくわからなかったダンだが、突如として蘇る記憶に言葉の意味を悟ってしまう。
 ぼくが、彼らを殺したのか。
 逃げ切ったのではなかった。
 子供だけで逃げ切れるはずがなかったのだ。
 逃げる代わりに、幼いダンは剣を抜き放ち、暗殺者一団を返り討ちにしていたのだ。
『思い出したか。暗示と共に封印していたからな。あの頃のお前では耐えられぬと判断しての処置だ。ユジーンは口止めだったが、どうだ、今知った気分は。もしも耐えられるのであれば、お前はやはりそういう奴なのだ』
 どういう奴なんですか。
 問いかけても答えは来ない。師匠の声はただ最後まで一方通行で続いただけだった。
『幼いお前に剣を教えたのは俺だ。遊び半分だったが、すべてを吸収していく様を見るのはおもしろかった。というより期待していたのかもしれん。だからこそ、責任は俺にある。お前を刈り取るのは俺でなくてはならぬ……いつかどこかで、我ら頂上を求める獣として、雌雄を決しよう』
 宣戦布告だ。
 真術によって施された暗示ならば、解けたことも術者に伝わっているだろう。
 いつか、来るんだ。ぼくの師匠が。
『覚えておけ、ダン。お前の師匠はつえぇぞ。このドストメス・ガ・ターンはな』
 それが最後の伝言だった。
 ターン師匠、か。
 すべてを思い出したダンは、ただ呆気にとられたあと気を失った。その後スエントに介抱され、背負われて下山したときはもう試練の終わり間際だったのだ。
 ぼくは、あの人といつか、殺り合うのか。
 車窓を眺めたままぼんやりと考える。
 ターンの名は、ダンが上級校時代にはもう各国へ轟いていた。
 至る所の剣術道場を荒らし回り、めぼしい剣術大会に出場しては、ほぼ優勝するという。西域で彼に勝てる者などいない、とまで民衆の間で言わしめている剣豪の一人だ。
 ぼくはそんなのと。……戦うために友人を斬ったわけじゃなかった。
 友人を殺してまで手に入れた、生きる道。
 それは今や、どこへ続くかわからない獣道に入ったも同然だった。
 行けるのか? ぼくは。この道を。
 不安と後悔、そして巨大な喪失感が、ようやくダンのなかでこみ上げはじめた。
 くそったれが。これからだろうが。
 自分を叱咤するなか、微かな囁きが聞こえてくる。
「ダン、泣いてるんですか」
 労るような響きが、今はさらに痛い。
 それでもダンは歯を食いしばり、衝動に耐えなんとか口にした。
「……ぼくが、泣くわけ、ないだろ」
 がんばって虚勢を張るダンであったが、肝心の相手はすでに寝息を立てていた。
 それが本当に寝ているのかどうか。
 ダンは確かめることなく、ただ車窓を眺め続けていた。
 様々な思いを抱えて。
                         第一部『黎明の時』完
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