四章 教団狩り 1
豪邸の地下深くに存在する、広大な闘技場。
天井までの高さは体育館どころではない。
軽く地表ぶち抜いているはずだよなぁ。
周りを見渡しながら、勇也は行程を思い返す。
控え室までの移動はわずか数分。
謁見を終え、案内されるままエレベータで下り、大理石の廊下を少し歩いただけ。控え室からコロシアムまで、数階下ったとは思えない。
なのにこの広さ。……やっぱあり得ん。
いくら豪邸とは言え、京都の地下を数十メートルも空洞化できるとは思えない。
あの通路、それともエレベータ自体が境界の壁を越えたってか。
ここはデダーナ。
もしくは地主、仙石道孝によって作り出された異空間かもしれない。
「よくやるよ」
小声でつぶやき、改めて客席を見上げる。
巨大な茶褐色の壁が遮る向こう側は、すり鉢状に観客席が連なり、幾人もの仮面を被った客人が勇也を見下ろしていた。
人間以外もいるんだろうな。
これはショーだ。
仙石主催の娯楽。
普段では見られない、人間を超越した悪魔どものバトルを魅せるサービス。
招かれるのは世界の裏側を知り得た人間、または上流階級の悪魔ども。
そして俺は、哀れな生け贄。
眉をひそめた勇也は、ゆっくり黒いスーツ姿の相手へ向き直る。
対戦相手は、茶髪にさわやかな笑みを浮かべる好青年。
名を八汰徹。
新幹線ホームにて出迎えた八汰の第一印象は『やさしいお兄さん』そのもの。那由にとっては昔なじみであったらしく、嬉々として話し込んでいた。
そんな相手が笑顔を消し、眼光鋭く勇也を射抜く。
「君にとっては不運だろうが、私は手を抜かないよ」
「本気を出せと」
「無論だ。そうせねば主の心は動かない。いくら姫が懇願してもね」
姫か。
対峙する八汰の遥か斜め上にガラス張りのスペシャルシートがあり、笑顔一つ無い不安そうな那由が勇也らを見下ろしていた。
彼女は彼らにとって特別なんだな。
馴染み故か、それ以外でか。
聞く暇もなく、この状況に置かれていた。
姫だから、とばっちりが俺に来ていると見てもおかしくない。
意地の悪い見方だと思いつつ奥へ目をやると、恰幅の良い中年男性がワイン片手にはべらしたご婦人方と談笑していた。
仙石道孝……すべてはこいつ次第。
地主である仙石が認めない限り、京都での自由も滞在も許されない。
入領許可しておきながら、これだもんな。
情勢が変わったのは事実、故に勇也の実力を試す意味合いが含まれているのは確かだ。
しかしこの観客らを見れば、建前も霞む。
宴会の余興ってか。なら余興らしくして欲しいもんだけど。
眼前の相手は戦意むき出しで、威圧を押さえようともしていない。
本気だ。微塵も遊びが見えない……勝てるのか。
仙石が八汰を指命したとき、那由は血相を変えて抗議していた。それだけ勇也にとって荷が勝ちすぎていると判断したのだろう。
たしかに、分が悪いかな。
那由ほど悲観的ではないが、現状の自分を把握している分、相手との差が見えてくる。
どうする、ラスティムゥア。
黙したままの相方へ語りかける間に照明がゆっくり落ち、あたりを暗闇が包んだ。
はじまりのときが近づく。
◇◇◇
「賊の侵入が判明してね。警戒態勢なんだよ」
リムジンの対面シートで、優雅に足を組んだ八汰が微笑む。
賊で警戒態勢……物々しい雰囲気の説明はつくが。
唐突な流れだった。
京都へ着いた直後に、八汰の出迎えがあった。
礼儀正しく自己紹介する相手に慌てて答えたあと、再会を喜ぶ那由らと距離を置いた勇也であったが、視界の隅に黒服の男たちを捉えたことにより、つい割って入った。
「すみませんが、これはなんです?」
「あぁ、ちょっと大げさだけどね。場所を変えよう。こちらですよ、姫」
姫?
いぶかしむ勇也に、少し頬を染めた那由がつぶやく。
「ずっと子供扱い」
実際、そうだけどね。
口にせず苦笑しただけで、勇也は八汰の促しに従った。
仰々しい警戒のなかリムジンに乗り込み、前後を数台の黒い車体が挟んでの護送。襲撃を想定したかのような態勢は、一般人から見ればどこかの組長が乗っている、そう思われても仕方ない光景と言えた。
これほどまでする、賊ってなんだ?
いぶかしむ間も、京都の街並みを流しつつ一団は鴨川沿いを北上していく。
繁華街から離れ、住宅街へと向かうらしい。
このまま主の元へ行くわけだ。
近畿圏から西国を占める、極東のドンと言っても良い相手だ。
仙石道孝に賊か。久々に来るね。
高まる緊張に若干頬が緩む、そんな勇也に代わり那由の質問が飛んだ。
「賊とは、なんでしょうか」
「賊は賊ですよ、姫」
軽く流した答えに、那由の顔が曇る。
「意地がお悪くなりましたね、八汰さまは」
「おっと、またそれですか。そろそろ昔のように『お兄ちゃん』と呼んでくれても」
「遠慮します」
すっと目を細めて拒否する那由に、肩をすくめた八汰はため息一つ吐き、
「わかりましたよ。話します、話しますから。威圧はやめましょうね」
「してません」
「ですかねぇ。うちの旦那はそのあたり敏感なのですが」
同じ黒服。
彼もまた滅殺業者であり、悪魔憑きだ。
どれほどなんだ? 試してみるのも、かな。
好奇心を押さえきれず、口走る。
「怯えていると」
「そうとってもらって結構ですよ」
苦笑しての即答も、勇也を一瞥した八汰の目は笑っていなかった。
意外とむき出し。
少しも威圧せず、かわりに敵意だけを向けてくる。
わかりやすいけど、底は見せないな。
八汰に対する警戒感が上がるなか、再度那由が問いかける。
「それで、賊とは何者を指しているのですか」
「教団ですよ。ザンコウ教団、噂は聞いていると思いますが」
ザンコウ?
聞いたことのない名だ。
しかし那由はうなずく。
「光りを斬る、あの斬光教団ですね」
「残った光り、という説もありますが、その教徒が二名、領地に侵入したとの報告が今朝ありまして。緊急警戒態勢をしいているわけです」
二名に緊急か。
感じたままを口にしてみる。
「大げさでは?」
「ええ、大げさです。ただ、うちではいつものことで。部外者は排除、祭りのようなものですよ」
祭りね。狩りを楽しむ、わけだ。
一人納得する傍ら、那由がたしなめる。
「あまり褒められた行為ではありませんね」
「ですが、これはルールに則った行為ですし」
「わかっております。酷であっても、ルールはルール。……あの教団相手では、致し方ないのかもしれませんね」
目を伏せた那由が軽くため息を吐く。
致し方ないってことは。
「それほどの者と?」
「どうですかね。我々としては狩りの対象としか捉えておりませんが。どうやらご存じないようで」
薄ら笑いの奥に侮蔑の感情が見て取れる。
なんだろうな、この敵意は。
わかりやすく伝えてくる真意が読めぬも、不快ではある。
喧嘩を売られているんだろうが。
敵地のど真ん中とも言える状況でおいそれと買うわけにもいかず、心の中だけで負の感情が渦巻きはじめる。
若干、室内が涼しくなるなか、那由が目を見開く。
「人にはそれぞれ事情があります。勇也さんは出所して一ヶ月あまり。噂程度の教団など、知らないのが当然です」
「噂程度……なるほど、姫もさほどご存じないようで」
「というと?」
「各国で行われた彼らの蛮行については姫も聞き及んでいると思いますが、それは面子によって差し引かれた情報に過ぎないのです」
「では、実際のところは」
「酷いものです。人間の死傷者すら、一件ごとに数百は弾き出していたそうで」
「悪魔よりも悪魔らしい、と言いたいのですか」
「ええ。お陰でこちらにも手配指令が回ってきました。姫の下へも行っていると思いましたが、どうやらお兄さまの手が回っているようですね」
「いつものことです」
きっぱり言い切った那由は、車窓へと目を向けて続けた。
「教団の驚異、それを楽しむかのような警戒態勢、情勢は変わったご様子。ならば私たちの自由はどうなりましょうか?」
「現状を見て、すでに察していらっしゃると思いますが。やはり最後は、主の御心のままに、となります。申し訳ありませんが」
「仙石さまの……難儀なことになりそうですね」
憂いを帯びた声に、八汰の頬が緩む。
二人が思い描く展開は豪邸に到着後、見事に現実と化した。
◇◇◇
『力を見せろ』
薄ら笑いの口元がさらに動く。
『納得できるレベルならば自由を保障してやる』
それがこの場に立たされた条件だ。
勝ち負けは関係ないって言ったのに、彼は違うようで。
闇に包まれた闘技場で、うっすらと浮かび上がる対戦相手を睨む。
八汰徹。那由さんの言い分によれば、彼はまがうことなき生粋の悪魔憑き。
あの財前隼人と同じ存在であり、爵位を持つ存在が背後にいる。
地主にもなれるだろうに。……そんな相手が本気、やるしかないな。
吐く息が次第に冷たくなるなか、マイクを通した声が辺りに響き出す。
「今宵の宴も中盤を迎え、ますます盛り上がる闘技の祭典!」
暗闇を引き裂くスポットライトがメインモニター前に設置されたステージを照らす。
スモークが漂う舞台上で、次第に白いタキシード姿の男が浮かび上がってくる。
「さぁ皆さん、賭け具合はどうですか? 懐具合はどうですか?」
呼びかける合間に巨大なメインモニターが起動し、黄金のアイマスクを装着した白髪の男が映し出される。
「金なんて気にしない、早く戦え、戦いを見せろ、血湧き踊る超常な戦いを! などのお声が聞こえて来そうな面子ですが、ここでお知らせです」
マイク片手に口元を歪めた男は、ある一角を指差し声を荒げた。
「プログラムにない素敵なハプニング発生! なんと『焔の巨星』ことベルベディアン侯に認められた男、八汰徹が飛び入りで参戦!」
新たな光りが走り、照らし出された八汰は手慣れた風に右手を掲げる。同時に観客からの声援が飛び、一気に辺りが騒然としはじめる。
司会の男はざわつく雰囲気を楽しむかのように眺めたあと、テンションが一時的に静まる間を逃さずに口を開く。
「対しますは、悪魔に愛されてしまった少年。しかもそんじょそこらのレベルではなく、幻の女として知られ、一国を統べる力がありながら世界を渡り歩く、あの『氷の女王』ことラスティムゥア女王陛下! 幸運な少年の名は、柊勇也!」
三つめの光りが勇也を照らす。
くっきり浮かび上がり、視線が一斉に集中してくるのを痛いほど感じる。
見せ物だ……でも。
裏腹に心は高揚しつつある。
この大舞台で。
この視線の中で。
俺は、やってみたいと思っている?
自問する傍ら、照らされたもう一人の男が沈黙を破った。
「私は感謝している。この場を与えられたことをね」
「そんなに戦いたいんですか」
「君も戦いたいんじゃないのか?」
無言で眉をひそめた勇也へ、八汰は勝手に決めつけた。
「図星だろ。君だって試してみたいんだ。ならこちらも遠慮無く見極めさせてもらおう」
「なにをです」
「君が、姫の隣りに立てる男なのかを!」
高らかに宣言した途端、八汰の姿が間近に迫る。
いきなりかよ!
司会者の驚く声が聞こえるも、理解する余裕はなかった。
迎え撃つ間も与えられず懐に入られ、深く、抉り取るようなボディブローが放たれる。
くそが!
咄嗟に左手だけで受け止める。
しかし勢いを殺せるわけもなく、直撃と同等の衝撃が腹部に走り、さらに空圧らしきものが身体を簡単に押し飛ばし、気付いたときには上下逆さまになって落ちはじめていた。
こんなにも。
簡単に無防備な状態に置かれてしまった。
しかも落下先では八汰の両手が赤く燃え上がり、炎弾が放たれようとしている。
まだ早すぎたのか。
過ぎった後悔に対し勇也は舌打ちして振り払い、今ある力を前面に集中していく。
やられっぱなしで、終われるか!
周りの気温が一気に低下し、炎弾に対向すべく氷のベールが勇也を包む。
「それで防げるかな、坊や!」
侮辱と同時に炎の塊が二発、獲物を追う猟犬の如き動きで空中を駆けはじめる。
迫る熱気をベールが和らげるも、威力には差がありすぎた。
防げるわけがない。
炎に炙られるのは必至、であっても意地の塊と化した勇也に退路の選択はなかった。
ここだ。
落下する最中、身体を屈めて意識を足の裏に集中させる。
靴底に硬い感触が生まれた瞬間、さらなる加速を得るべく勇也は跳ねた。
固定された氷の塊を蹴り、落下速度を上げて炎弾を掠めるように避け、にやける八汰目掛けて冷気に覆われた右掌を突き出す。
いける。
確信と共に掌底が八汰の顔面を捉えた。
押しつぶす要領で力を加えていく。
だが。
勢いは簡単に止まる。
堪えたのだ。
受け止めたのだ。
渾身の力を込めた一撃を、顔面で、立ったまま、八汰に受け止められてしまったのだ。
掌底の下で八汰の口元が歪む。
ダメだ。
身の危険を感じたときには、すでに宙を舞っていた。
ただの威圧で身体ごと弾かれる。
視界が激しくぶれるも力を四肢に込め、なんとか空中で態勢を整える。しかし追撃はなく、勇也は無事に舞台へ降り立つ。
余裕ってか。
沸き立つ憎悪が威となり、八汰を睨み射た。
突き刺す威圧は岩をも貫くまでに達していたが、敵は涼しい顔のままつぶやく。
「センスは悪くない……」
軽くため息を挟んで、八汰は睨み返した。
「けどねぇ不足しているよ、柊くん。どうやら君は女王の力を引き出せていないらしい」
声と睨みに含まれた威圧がうねりとなって勇也を襲う。
歯を食いしばり、尋常でない圧力に耐えるなか、勇也はさらなる驚異を体感する。
これほどの。
目の前の男から溢れる力は、あきらかに桁が違った。
普段なら目視できぬ、張り巡らされた多重結界が淡い光りと共に浮かび上がりつつある。お陰で闘技場に近い席から慌てて逃げ出していく客の姿すら見えてしまう。
やはり今の俺じゃここまでか。
二度目のあきらめが過ぎった瞬間。
『もうか?』
脳裏にラスティムゥアの声が響く。
現状を冷静に判断した結果さ。
吐き捨てるかのようなイメージをぶつけると、次第に視界がぶれはじめる。
八汰の力が増し、止めの一撃へ移行するモーションが見えるなか、うっすらと白い女の幻影が勇也の前に現れる。
ラスティムゥアだ。
半身がぼやけている以上、実体化前。見えているのも勇也のみ。
バカにしにきたのか。
微かな笑みを湛えた彼女は、目を細めた。
『今、そちがあるのは、あのときあきらめなかったからだ』
あのとき?
疑念が瞬く映像を呼び覚ます。
目をしばたたかせ、なんとかあたりを見回す。
傾いた機体。
至る所に散乱し、投げ出された生徒の姿。
そして一人通路に佇む女。
これは、俺の記憶!
確信した直後、映像は途切れ、八汰の宣言が響き渡った。
「見せてやろう。滅殺の業を背負う意味を!」
溢れ出る波動が炎へと変わり、闘技場全体に流れ出す。
迫り来る炎の波が容易く勇也を囲い込み、じわじわと纏っていた氷の結界を蝕んでいく。
ここで……。
熱気に煽られながらも、幻影の奥を睨んだ。
「行くぞ! これが真の力だ!」
吠える八汰の背後に、巨大な炎が立ち昇った。
天井の結界に到達せんとする炎は、人とも、獣ととも取れる姿を形成しつつ勇也目掛け降下してくる。
圧倒的な力であり、圧縮された炎の塊。
死、必至の業火だ。
その炎が勇也に悟らせる。
今までが陳腐なレベルであり、滅殺の責務を背負う者はこの高みにある。
だからこそ、悪魔を狩ることができる。
だからこそ、ゲームに参加できる。
到達していない者は、あっけないほど簡単に狩られてしまうのだと。
俺はここまで……。ここで納得しろって……ここで、ここで。
望まぬ結末が記憶を呼び覚ます。
『あきらめなかった』
刻まれた言葉が勇也を解き放つ。
「ここで終われない!」
威を含んだ叫びがあたりを震わせる。
見えぬ波となった力が炎へぶち当たり、一気に勢いが死んだ。藻掻くように揺らめいた炎は、壁を突破できずに燃えること自体を止めていく。
「まさか」
生じた現象に目を見開く八汰が呻くなか、ラスティムゥアが実体化をはじめた。
「成功だ、勇也。それでこそ妾が見込んだ男よ」
「なにが」
起こったんだ。
あきらかにおかしい出来事を前に問いつめようとするも、ラスティの細い人差し指が唇を塞ぎ、やわらかな身体が勇也を包む。
「今はなにも考えず、褒美を受け取るがよい」
褒美が? なんだと……。
急激に膝から力が抜け、ラスティにしがみつく。
これは。
重力に逆らえず、肉が衰えたかのような感覚に囚われる間に視界が狭くなり、周りの音すらくぐもる。
「これが褒美、だ」
声と共に見えていた炎の海が次々に無数の氷柱へ変わり、あたりから悲鳴が上がっていく。
力を解放したのか。
理解しながらも、勇也の意識は闇の中へ解けていった。
◇◇◇
眼下に広がる白銀の世界。
ガラス越しですら、吐く息が白くなる。
女王の力、さすがです。
敬意を払うも、那由は目元を細めてしまう。
私、おもしろくないのね。
焦点は常に、二人へ絞られる。
力尽きて崩れた勇也をゆっくり寝かせ、膝枕する白銀の女。その顔は慈愛に満ち、微笑みながら勇也の頬を撫でる姿からは、王の権威など微塵も感じられない。むしろ男を愛でる恋人、ただの人間に見えてくる。
だから、なのかな。
心に芽生えた思いに眉をひそめると、女王が白銀の髪を掻き上げつつこちらを見上げた。視線が絡み、彼女の赤い唇が優雅に歪んだ。
あなたは一体……。
何者なのか。
どこまで関わっているのか。
彼をどうしたいのか。
渦巻く疑念をハッキリさせたい、欲求がある。
でも私の立場は……ごめんなさい、勇也さん。
思いを押し殺し、戦いの元凶へと振り返った。
両脇にはべらした婦人方は意識を失い、だらしなく崩れ落ちている。結界越しであっても、女王の威は強烈すぎたのだ。中央の席でも、黒服に身を包んだ仙石が婦人らと同様に口から泡を吹いて椅子にもたれていた。
そんな相手に、那由は淡々と話しかけた。
「はしたないのでは? 仙石さま」
無言のまま数秒待つと、白目をむいていた仙石の眼球が蠢き、那由を睨んだ。
「少しは心配してくれてもよかろうに」
「芝居であることは、充分わかっております」
「面白味のない姫よ」
後退した白髪をなでつけ、ゆっくり立ち上がる。
「仙石さま。もうよろしいのでは。お似合いですけど」
「皮肉も言う。可愛かった姫はどこへ行ったのやら」
「では、私はもう可愛くはないのですね」
「……いや」
否定しながら、目の前の仙石がぶれはじめる。
「お前は姫そのもの。例え中身が変わろうとも」
口にしつつ淡い光りを発した仙石の姿が一気に変貌を遂げる。恰幅の良い腹はへこみ、禿げ気味の白髪も黒光りするオールバックとなり、日焼けした浅黒く若い男が姿を現す。
「今はその姿が、お好みですか」
「威厳がないあたり、不満だがな」
不敵に笑った仙石は那由の隣りに立ち、白銀の世界を見下ろした。
「彼女は、なんと?」
「聞こえたか」
「威と共に、少しだけですが」
込められたメッセージは膨大で、汲み取れたのは取引めいた内容であったぐらいだ。
「奴はな、人質を取ったのよ」
「観客を、ですね」
結界を容易く破った冷気は会場全体に行き渡り、ほとんどの客を凍結させてしまった。
要求を呑まねば女王は簡単に命の糸を断つだろう。
今の彼女は勇也のコントロールを離れているのだから、なおさらだ。断ち切られたなら、仙石が展開している財界やデダーナにおける権力闘争への根回しが瞬く間に水泡へ帰す。それだけの面子が会場にはひしめいていたのだ。
勝敗は決したと言えた。
仙石は深々とため息を吐き、肩をすくめて見せた。
「面倒この上ない。どれほどの記憶を操作せねばならぬのか」
「ですが、先に条件をお出しになったのは仙石さまです。手痛いしっぺ返しでしたね」
「まったく。……しかし良い見せ物だった。財前らが楽しむのもわかる」
「楽しんでいるのかどうか。そのあたり言及はしませんが、お認めになったと見てよろしいのでしょうか」
目だけが動き、那由を射る。
「認めよう。ただし監視はつける。異論はあるまい?」
「仰せのままに」
即答し、小さく頭を垂れた那由であったが、心の内では呪詛を付け足していた。
勇也さんの、ばぁか。