四章 広がる世界 1
宮城真美子を信用した訳ではなかった。
不気味さは未だあるし、得体の知れない異常な能力を見て、ますます危機感は高まった。しかしその反面、妙な頼もしさと親近感を覚えたのも事実だ。
彼女を信用できたならば。
味方であったならば。
今ではそう願わずにはいられないが、すでに見合いの結果を通達したあとであったことが気まずい。だが真美子は断られても、強引に話を進めようとしている。
なぜか。
理由がはっきりしない。
単なる好意から、とは思えない。
やはり。
祐太朗と同じく、似た者だからか。
もしくは。
利用か。
「どちらにしろ」
進むしかない。
進み続ける。
結果、今この場所にたどり着いているのだ。
ひっそりとした客間に、祐太朗は一人ソファに身を委ねていた。
あれから雨足は強くなり、爆炎の被害は瞬く間に静まったようだ。真美子のあとを追うなか、ちらり振り向いたときには燻った煙しか確認できなかった。
山火事は回避だな。
などとほっとしたのもつかの間、真美子の姿が遠のいたときには焦った。
一人抱きかかえているとは思えないほど、彼女の脚力は早かった。
肉体強化しているはずの祐太朗ですら、遅れぬように着いていくのがやっと。しかも別荘に着いたときには、祐太朗一人だけびしょ濡れになっていた。どうやら真美子は結界を張っていたらしい。先に着いていた真美子が出迎えたとき、ずぶ濡れの姿を見て『あわてん坊さんですね』と楽しげに笑ったものだ。
必死だったからさ。
結界を張るなど、思いもつかなかった。
そこから見ても、真美子のほうが一日の長がある。
この異常な世界での。
彼女は長いはずだ。
しかしそんな素振りは見せることなく、真美子は甲斐甲斐しく動いた。寝間着用の浴衣を用意してシャワーへ入るように命じ、帰還した死者の女性にも浴衣を着せて寝室に寝かせると、夕食の準備へと向かっていった。
さきほどまでの非日常が嘘であったかのような光景に面食らったが、ずぶ濡れのままではまずいと考え、従ってしまった。
今思えば、緊張感が無さすぎる。
もしくは、すでに心を許していたのかもしれない。
それでも極神大全だけは、肌身離さず浴室まで持って入った。乾かさねば、とも思ったがどうやら本自身の結界が効いていたのか、濡れた形跡はなかった。
さっと汗を流し終えて着替えたあと、祐太朗は帰還した死者を見舞った。
心身を疲弊しているのは確実だ。
寝息も規則正しい。この様子では意識回復は遠いと思えたが、祐太朗はそれ相応の手を打った。
これでこっちはなんとかなる。
次は。
宮祁真美子だ。
そう思ったが、キッチンでせわしなく動く真美子を見ていると、なにも口に出来ず客間へ戻ってきている。
なんだろうな、この感覚。
戻ってきてしまった、そんな気になる。
そして場違いであるとも。
この日常的な感覚がだ。
居心地の悪さから立ち上がり、辺りを見回して窓際へ向かった。
外は豪雨で日差しはほとんど遮られている。
お陰で夕暮れ前としては暗い。
周りは木々ばかりで、県道までの一本道はうねっているので通りすがる車も見えない。林の中に開かれた土地にぽつんとある木造コテージが宮祁家の別荘であり、駐車するスペースは空だ。どうやら他の人は出払っているらしい。というよりも、人の気配が足りない。人が生活していた痕跡が感じられない。
別荘だから。
今回だけの、短い期間だから。
なら真美子の父親はどこへ?
まだほかに別荘があるのだろうか。
なにか引っかかりを覚える。
可能性の問題だろうか。
異常者ならば、その血縁は?
疑いはじめると切りがない。しかし疑えば疑うほど、薄皮を剥いでいくが如く、真実に近づいているのではないかと思えてくる。
もしも……彼女が。
ある結論が脳裏を過ぎったと同時に、肝心の相手から声が掛かった。
「祐太朗さん、出来ましたよ」
キッチンからだ。
ドア越しでも張り上げているのがわかる。
行かなければ、次は批難混じりになるだろう。
こんなことでこじらすのは。
「馬鹿げている」
口にしながら腹も鳴る。
食料を摂取しなくても生きていける身体になったはずなのに、食欲という機能は順調に働いている。常時的体調維持の効果だ。
飢えを感じる、わけだ。
感じ続けた先は、どうなるんだ。
体調維持が働くのか。
それとも精神が先に参るのか。
しかし精神の不調は体調から来るとも言う。その体調は好調時に調整、維持されるのだから、精神が体調面で参るとは思えない。例え精神が病んだとしても体調が常に好調であるのなら、いずれ回復となるはず。
ぼくの、この変化もそこが?
心まではいじりたくない。
そう思ってはいても、すでに手遅れなのかもしれない。
「ま、それも良しだ」
楽観的な答えに一人ほくそ笑むも、すぐに苦笑へと変わってしまう。
「なにが良しですか」
「新しい見方に、かな」
振り向くと、ドアに寄りかかった真美子が軽く睨んでくる。
「もう、せっかく温めたのに。冷めますよ」
「すみませんね。考え事がちょっと……」
言いつつ、祐太朗は改めて真美子を眺めた。
服装は前のままだが、紺色のエプロンがやけに目につく。似合っていると思えるし、家庭的だとも思える。
でも、あの真美子さんなんだよな。
ついさっき見た、両腕を組んで仁王立ちして薄ら笑う真美子の姿が過ぎる。
あきらかに悪だったな。
ずばりな答えに自然と頬が緩む。
「今度はなんです?」
「いえ、ギャップが」
「……言いたいこと、わかりますけど。先に食事にしましょう」
「ええ。ぼくも空いているので」
「それって私が……」
言いかけて眉をひそめた真美子は、廊下へ出て『注いじゃいますから』と告げて視界から消えた。
そんな真美子の一面に、ほっとすると同時に戸惑いも覚えていた。
「人間じゃないのに」
ぼそっとつぶやいた祐太朗は、ゆっくり窓際を離れて真美子のあとを追った。
◇◇◇
恥ずかしそうに『昨日の残り物ですけど』と言った通り、食卓に並んだ料理は雑多に混ざっていた。煮物もあれば、クリームシチューすらある。唐揚げの隣には、鮭の塩焼きという状態に、終始申し訳なさそうであったが、味は普通に食べられた。むしろ『うまい』とすら思える。
素材がいいからか。
何かの隠し味が。
それとも腕なのか。
追求したくなる。
しかし目の前の真美子と『あの』真美子の姿が重なり、無駄な欲求は一気に雲散霧消と化した。あとは黙々と食い続け一言『美味しかったです』と率直な感想を述べて、真美子の微笑みと共に腹ごしらえは終わった。
空になった食器は手早く真美子が運び去り、テーブルには冷たいコーヒーのみが残っている。
キッチンから響く水洗いの音色を聞きながら、一口すする。
「……いいな」
食事で上がった体温が身体の中から冷えていく感覚と、それを享受出来うる今という一時に、祐太朗は少しだけ浸った。
そう、少しだけ。
幕間劇は終わりだ。
次の幕を開けるのはぼくであり、潮時だ。
ゆっくりグラスを置き、祐太朗は開幕の名を告げた。
「真美子さん」
「なんです?」
蛇口からの音色が止み、雨音のみが聞こえはじめる。
「そろそろ、いいかな」
「頃合い、みたいですね」
軽く手をふき、グラスにアイスコーヒーを注いだ真美子は祐太朗の対面に座り、さらっと促してきた。
「知りたいことが、いっぱい?」
「もちろん」
「そう。でもそれは私も同じ」
「同じ……ですか?」
「ええ。推測することはできるけど。あの女はなに? なぜ墓場から? あなたの周りにあるモノは? 似ているけど何かが違う、そう思えるの」
偽っては、いないらしい。
心理開錠の力は継続中だ。
しかし確信は持てない。
未だ出だしであり、わからないことだらけだ。
まずは知ることからはじめねばならない。
「答えますよ。でもぼくには推測すらできない、初心者。先にカードは切れませんよ」
「慎重ですね」
「じゃないとダメでは? この世界なら」
「そうなのかな。あまり意識したこと、ないけど」
微笑んだ真美子は、グラスを傾けて喉を潤す。
「では、なにから話しましょうか? ご希望はありますか」
「ありますよ。というより、ありすぎて困る」
「悩みます?」
いいえ。
心の即答に苦笑し、祐太朗の口は滑らかに動いた。
「最初に聞くことは決まっています」
「なんでしょう」
「宮祁真美子、あなたは何者です?」
「私は……」
視線が絡むなか、真美子は短く答えた。
「化け物よ」
「化け、物?」
あまりにも普遍的な響きに笑いたくなるが、すぐに思い止まった。
それはぼくも同じ。……だが。
「どのような?」
「私は、宮城真美子を演じているに過ぎない、化け物。それが私」
ため息混じりだ。
秘密を明かすことに躊躇いと、憂いが垣間見える。もしくは不安なのか。自分自身で、認めることが苦痛とでも? または知られることが?
相手の心を読み取ろうと憶測が走りまくるが、例の『心の声』が聞こえていない時点で一つは確定している。
化け物である、という点だ。
しかも演じているならば、自ずと導かれる。
乗っ取り?
本物は?
いつから?
疑念は渦巻く。
そんな祐太朗を見越してか、真美子は小首を傾げながら聞いてきた。
「怖いですか?」
「普通の感覚なら、そうでしょうね」
「祐太朗さんは、どうです?」
「ぼくは……まだこの世界は初心者ですから」
「怖いんですね」
伏せがちになる真美子であったが、すぐに顔を上げてまくし立てる。
「でも、これだけは言っておきます。私の二三年は私のものですから。ただ私がいつから、私であったのかは、わからないですけど」
「いつからって。本当に?」
「本当に。いるのかどうかわからない、神にでも誓って」
これもまた真実だ。
彼女は嘘をついていない。
化け物だ。
所謂、妖怪の類と言えるのか。
魑魅魍魎か。もしくは土着の神に近いものか。
「だんだん、わかってきましたよ」
「理解、早いですね」
「……まぁぼくも、すでに常識外のモノですから」
「なら、私たちって似た者同士?」
どうかな。
否定も肯定もせず、祐太朗は己の思考を吐き出すかのように話しはじめた。
「思うに、宮祁真美子は人間じゃない。本人自ら『化け物』と称するも、それがなんであるかはっきりしない。本人に記憶がないから? それとも謀っている? どちらにせよ、常識外の力は確認している。あれはあきらかに巨大だ」
真美子は答えない。
じっと黒い眼は祐太朗を見つめている。
祐太朗もまた見つめ返したまま、心の赴くままに喋り続ける。
「神か悪魔か。妖怪か土着神か。どちらにしろ、その類に近いモノであるのは、確かだ。でないと、あの力の出所が理解できなくなる。人の未知なる能力に期待したいのは山々だけども、天候のコントロールの類は領域が異なる気がする。故に彼女、宮祁真美子は人外であり、恐怖の対象となりうる存在である。だけど彼女は……」
「彼女は?」
「彼女は……ぼくにとって」
好意に値する存在。
導かれた心の声を口にしようとした瞬間、鋭い痛みが眉間に走る。
針が刺さったかのような痛みに、声もなく顔を押さえたが、すぐに痛みは消え、代わりに別の思考が走りはじめる。
これは……そういうことか。
「なにか、仕掛けてますね」
「惜しい」
真美子が楽しげに微笑む。
悪気はない。単なる悪戯、とも取れる。
でも、かなり強力じゃないか。
ギリギリまで追い込まれていた。口にしてしまう間際に対幻覚戦用の効果が発動し、気付けたのだ。
「認めたと」
「だって、お互い様でしょ」
二度目だ。
こっちの仕掛けもばれてる。どうする?
逡巡したのも一瞬で、祐太朗は肩をすくめた。
「わかりました。術は解除します」
「術、なんですね」
「ええ、術です」
知られてもいい。
「隠すのは、辞めます」
無駄だと悟った。
諦めたとも言える。
「私を、信じてくれたの?」
違う。
口にせず、足下の鞄から極神大全を手に取り、真美子へ差し出した。
「これは?」
「ぼくの人生を変えてしまった、一冊です」
赤黒い皮革の表紙を見て、真美子が呟く。
「力は感じる。でも、さほど大きな力ではない」
「それは」
言いかける前に、真美子が首を振った。
「ダメですよ、祐太朗さん」
「なにがです」
惚けたわけではなかったが、聞き返した時点でわかった。
こういう、ところか。
目を細めて肩をすくめた真美子が、小さくため息を吐いた。
「いきなり奥の手出すなんて。ほんとに、初めてなのね」
「すみません。まだ初心者ですから」
苦笑しつつ極神大全を掴み、祐太朗はそっと唱えた。
変化は何もない。
ただ目に見えぬだけで、真美子に掛けていた心理開錠の術は解けた。
「たしかにぼくは愚かだ。駆け引きもできてない。それにまだ、あなたを信じたわけではない。だから、かな」
「そう」
言い訳めいた吐露を一言で流し、真美子は続けた。
「いいよ。そういうことにしておいてあげる」
すべて見透かされた感がするも、悪くはなかった。
相手は人外なのに。
改めて感じるが、祐太朗は気に留めることなく話した。
これまでのすべてを。
相手に聞かせることによって、もう一度確かめるように。
洗いざらい話した。
常識外れの陳腐な内容を、真美子は時折うなずく程度で黙ったまま聞いていたが、祐太朗が話し終えた直後、小さく笑って囁いた。
「嵌められちゃって」
その通りだ。
嵌められたのだ。
では。
誰に?
「演出は叔父さんでしょ?」
「だと思う」
「状況的に見て黒。だったら……」
彼女の視線がゆっくり祐太朗から外れ、寝室の方角へ向けられる。
廊下を隔てた奥の部屋で、あの女は眠り続けている。
「死から帰還した彼女は、何者?」
改めて死者帰還の行程が脳裏を過ぎる。
焼死体の一部を素とする、蘇生した女。
謎は多い。
本当の死因は?
叔父との関係は?
なぜ襲ってきた?
それに……あの力はなんだ?
爆炎に赤い光線、あきらかに攻撃的であり、軽々と人の命を狩れるレベル。
だとしたら?
わかっていた答えがむくりと起きあがり、自然と言葉が漏れた。
「敵か」
真美子は小さくうなずき、付け足した。
「空知六郎と、あの女は敵対していた。その結果が死だと思う」
「ならぼくを襲ったのは」
「真実は本人に問うべきだけど。考えられる点は二つ」
細い指を二本立て、一本目を折りたたむ。
「帰還による意識混濁の可能性。敵と誤認したか、まだ闘っているつもりでいたのか」
残った人差し指で、真美子は祐太朗の手元を指した。
「それを狙った可能性」
極神大全。
あり得る話だ。
というより、本命でいい。
どう考えても、妥当な答えへたどり着く。
「やっぱり、そうなりますよね」
「今ある情報だけだと。でも祐太朗さんはわかっていたのでしょう?」
イエス。
すべては聞き出す、その一点に回帰している。
ただ相手が、叔父の六郎から女に変わっただけだ。
手は打ってある。
万能の力だ。やりたいようにやれる。今すぐにでもたたき起こし、情報を吸い出すことすら可能なはずだ。
しかし、祐太朗は選択しなかった。
甘いと言われようが、非情には徹しきれない。
一線を越えようが、自分は自分。
今まで築き上げた自分に従っただけのこと。
わかってはいるんだ。わかっては。……けれど、目の前には。
じっと真美子の黒眼を見つめ返す。
小首を傾げる姿に微笑ましくなるも、祐太朗は本題へ話を戻した。
「わかっています。ただわかってないこともある」
「なんです?」
「わかっている癖に」
軽い切り返しに真美子は口元に笑みを湛えて、重い内容を口にした。
「あなたが知れば。私たちのルールのなかで生きることになるのよ」
「かもしれないですね」
「いいの?」
短い問いに笑みはない。
一気に緊張が走る。
それでも、祐太朗は呑まれなかった。
「こちらにも。そう、ぼくのルールもあるのです」
唾を飲み込み、祐太朗は言い切った。
「ぼくのルールで、生きていくことになるかもしれませんよ」
右手の下にある極神大全の厚みが、強気に出た根拠であるのは事実だ。そしてその理由すら、真美子はとっくに見抜いているだろう。
新参者を。
年月から来る経験が軽んずる。
そんな笑みが刻まれた、ように見えた。
だが真美子は、さも楽しそうにつぶやいた。
「知ってからでも」