二章 二者択一の狂気 1

 
 空知家は名家だ。
 村名に『空知』と冠せられるほどであり、山奥にある村は彼らを中心に回っていると言ってもいい。
 誰も彼らに口出しはできない。
 五代前の先祖が開拓者のリーダーであったことがはじまりと言うが、それ以上に地主としての富と、有無を言わせない強引な性質が自然と村を支配しているのだ。
 そんな田舎へ帰るとなれば、祐太朗の待遇もがらりと変わる。
 都心では誰も見向きもしない、冴えない貧乏学生。
 しかし終着駅に着けば、黒塗りの外車が出迎えている。
「祐太朗さまですね。こちらへ」
 白髪交じりの老紳士が、頭を垂れて後部座席のドアを開ける。
 とてつもない違和感だ。
 田舎へ帰るたびに感じる、ギャップ。
 ぼくはそういう人じゃないのに。
 心のなかでつぶやいた祐太朗は、鞄を持とうとする老紳士に軽く断りを入れ、車に乗り込んだ。
 ゆったりとしたシートに緊張気味な身体が沈んでいく。
 服、汚れてないよな。
 大丈夫なのに心配してしまう。
 綺麗過ぎるのも問題だと、思っているうちに車が静かに動き出した。
 山村の風景は素っ気ない。
 瓦屋根の家が点在し、段々畑が遠めに見える以外は、碁盤のように配置された道路と水田だけ。
 自然に囲まれたのどかだけな土地。
 人口も千に満たないはずだ。
 だからこそ人と人の結びつきが強く、互いが助け合う。
 その反面、一度でもケチが付くと悲惨な現実が待ち受ける。
 出て行きたくなる気持ちも、なんとなくわかるかな。
 父、空知茂は村を捨てた人間だ。
 祖父母や、兄弟の意に反して父は母と結婚した。
 普通ならば家の問題で終わるが、この村では違う。
 空知家に反するのは、村民全員に反したのと同義。
 両親に居場所などなく、村を出る流れは必然であった。
 それから父が村に足を踏み入れるまで数年を要し、祐太朗の村での記憶があるのは小学生辺りとなる。
 子供の頃はさほど感じなかったが、今となればはっきりする。
 この肩身の狭さ。
 田舎に来る事に感じる、居心地の悪さ。
 特に今回はあの叔父、六郎の葬式だ。
 どのような状況に陥っていくのか、簡単に予想できる。
 なにしろ、密葬というのだ。
 村民も来なければ、叔父の知人らにも連絡は行っていないだろう。
 近親者のみでの葬儀。
 なのに祐太朗の両親は来ていない。
 祐太朗が茂らの代わりであり、本家から直々の指命だという。
 確実に針のむしろだ。
 値踏みするような視線ばかりが、祐太朗を襲うだろう。
 幸いなのは、見物人が少ないことぐらいだ。
 近親者のみと言っても、甥や姪クラスは祐太朗のみ。
 なにかが、あるんだろうな。
 考えれば考えるほど薄ら寒くなるが、祐太朗の懸念はそれだけではない。むしろ葬式などで発生する人間関係の問題など、どうでも良いレベルだと言える。
 叔父の死……なにもかもが霞むよ。
 訃報を信じることなどできなかった。
 それは今でもある。
 あの叔父が死ぬわけがない。
 しかも通常ではあり得ない、なにかを持っているはずの叔父がだ。
 自らの手で死を選ばない限り。
 なのに叔父は死んだ。
 発見されたのは自室で、眠っているかのような死であったという。
 死因は心不全。
 原因不明の定番な判断、しかしそうせざる得ない結果だったのだろう。
 でも死は、叔父が死んだということは。
 祐太朗にも大いに絡む。
 だからこそ、なにもかもが霞む。
 叔父は死を選択した。
 そうとしか考えられない。
 極神大全を手放したのも、死を選択したからではないか。
 あれほどのすばらしい力を手にしても、死を選択した。
 なにが、あったんだ……死を選ぶほどの。
 答えはでない。
 力に魅了されている現状では理解できない。
 できるのは推測することのみ。
 叔父の死は、力を放棄した結果だ。
 すべての準備を整えて、永続効果を解除して眠り続けたと考えるのが、自然だ。
 ただの眠りではない、死へ旅立つ眠りを叔父は選択したのだ。
 なぜ?
 何度も問うた。
 田舎への準備中も、移動中も。
 心を縛り付けた、難題。
 死を選択した理由。
 叔父との記憶を思い返し、何度も、何度も。
 この力がそんなに……今のぼくには。
 繰り返されるやり取りに進展は見えない。
 まだ、足りない。なにもかもが足りない。だからこそぼくは。
 決意している。
 その心が、思いが、自分を突き動かしている。
 内なる衝動に身震いした祐太朗は、変わらぬ景色から目を離した。
 もう時間だ。
 碁盤のような村の構造上、大通りの終着は空知家であり、大きな鉄格子状の門が見えている。
「ろくにぃ」
 昔の呼び名を小さく口にし、祐太朗は空知の門を睨んだ。
 
  ◇◇◇
 
 式はまだはじまっていなかった。
 密葬だからか受付などない。
 しかし待ち人はおり、祐太朗は洋館の空知家を見知らぬ女性に連れられ、大広間へ向かっていた。
 で? 誰だ?
 若い女性だ。
 薄化粧で唇の赤色だけが脳裏に焼き付く。
 喪服のドレス姿でも、あきらかにあか抜けていた。
 村の住人ではない、そんな雰囲気がありすぎる。
 普段、女性に対し距離を置く祐太朗であっても、目の前を行く相手がどの位であるかが、理解できてしまうほどだ。
 胸元まである黒髪、均整の取れた目鼻立ち、まるでどこぞのモデルと見紛うレベルだが、ショーに出るような身長はない。そこだけが足りないだけで、あとは完璧と言えた。
 そして完璧であるからこそ、負い目を感じて避けたくなる。
 話すことすら、恐れ多い気になる。
 故に、玄関でのやり取りのときも案内を断った。
 父方の田舎であり、幾度か来たことがある。
 その頃と館の造りは変わっていないのは、一目見てわかった。
 迷うことはない。
 それもあって断ったが、居合わせた祖母の一声で、彼女のあとをついて行かざる得ない状況に陥っている。
 あぁすんげぇ気まずい。
 互いに無言のまま、大理石の廊下を進んでいく。
 なにか話すべきか。
 一応、社交辞令的なことでもと、常識が囁く。
 しかし意識しても、話のネタが出てこない。
 誰かって、聞くか? 所謂、自己紹介? でもそんなことしても……。
 迷い、悩み、時間だけが過ぎていき、気まずい間は終わった。
 洋風から一変した引き戸の前で女性が立ち止まる。
「祐太朗さまをお連れしました」
 しっとりとした上品な声に返答はなかったが、構わず振り向いた。
「大徳さまがお待ちです」
 祖父だ。
 一人だけ?
 叔父の兄弟はまだ揃ってないのかもしれない。
「まずは祐太朗さまとお話したいそうです」
 自然と眉根をひそませていたからか、彼女が付け足してくる。
「そうですか。わかりました」
 はじめて答え、微笑む相手を見て祐太朗の口元も緩む。
「お荷物はいかがなさいます?」
「大丈夫です、これくらい」
 誰にも渡せない、大事なものが入っているのだ。手元に置いておかねば気が気でない。
「わかりました。ではまたのちほど」
 優雅に一礼し、彼女は一歩下がった。
 終わった。
 ようやく解放される。
 のちほど、という言葉に不安を覚えるも、重荷が取れた感覚に身を任せ、祐太朗は短い謝辞を口にして大広間への戸を開けた。
 徐々に広がる畳みがある光景。
 洋風な内装ばかりを見てきたなかで、ここだけは違う。
 結構、気に入ってたよな。
 洋室に馴染めず、畳みの感触を求めて入り浸っていた。
 そこには叔父、六郎の姿もあった。
 蘇る記憶。
 しかし奥に見える、黒の羽織に灰色の袴を着た祖父の背と、納棺前の白い布団を前に祐太朗は思い出を振り払うかの如く、頭振った。
 気を引き締めろ。
 揺らぐわけにも、怖じ気づくわけにもいかない。
 靴を脱ぎながら悟られないように大きく呼吸し、祖父へ近づく。
「祐太朗、見てやってくれないか」
 背を向けたまま祖父が願う。
 叔父さんを……か。
 祖父の隣りに座り、白い布を被られた叔父を見下ろす。
「いい顔なんだよ、六郎は」
 力ない声が祖父の思いを代弁している。
 先立たれたからだろ。でもぼくに余裕はない。
 溜まった唾を飲み込み、ゆっくりと手を伸ばす。
 叔父さん、ろくにぃ、……そして力を行使した、はずの男。
 複雑に絡み合う思いを抱いたまま、白い布を掴み上げていく。
 現れる、叔父の顔。
 一目見て、布を掴む手が緩んだ。
 思わず口元を押さえる。
 こみ上げてくる、嘔吐感。
 嘘だ。
 今見たものを拒否しながら、気持ちと身体を落ち着かせようと目を閉じる。
「そうか。祐太朗、お前ははじめてだったな」
 死体を見たのがだ。
 その通り。でも、でもこれは。
「だがな、綺麗なほうだ、六郎は。もう聞いたかもしれんが、こいつ、眠りながら逝っち待ったからよ」
 わかっている。わかっているよ、じーちゃん。
 痛いほど理解している。
 でもぼくには、ぼくには……わかるんだよ、わかってしまうんだよ。
「発見されたのも、死んでから一日あとぐらいでよ。腐敗までは行ってないってよ」
 確かに。
 そういう『流れ』は知っている。
 訃報を聞いたときに、知らされている。
「だから、綺麗なんですね」
「あぁ、綺麗なんだ」
 祖父は落ちた白い布を手に取り、促してくる。
「もうすぐ別れだ。見納めだぞ」
「はい」
 答えて目を見開くも、身体が動かない。
 なにしろ、見えている物が違うのだから。
 やっぱり。やっぱりだ。ぼくは間違えちゃいない。
 訃報後にはじまった、苦悶。
 現実を認めるか。
 現実と向かい合うか。
 迷いに迷った。
 そしてたどり着いた答えは、現実の否定。
 叔父が死ぬわけがない。
 確固たる決意のもと、祐太朗は一つの呪文を唱え終えていた。
 幻視の呪文をだ。
 対幻覚戦用の呪文であり、効果はさきほど充分に発揮された。
 見えているものが違う。
 祐太朗には、見える。
 白い布団から顔を出す者が、焼けただれているのを。
 よく見れば、布団も若干盛り上がっている。
 足も腕も曲がっているのだ。
 焼死体のほとんどは熱作用によって、筋肉内の蛋白質が凝固して筋肉が収縮するという。この死体も、ボクサーが試合をしているような格好を布団の下でしているはずだ。
 なのに。
 彼らは見えない。
 触れても、彼らは理解できない。
 誰もが気付かず、誰もが違和感を抱かない。
 力が今もなお作用し続けているから。
 この死は、欺瞞に満ちている。
 だったら、叔父の死は。死は、なんだ? なんなんだ!
 振り出しだ。
 叔父は死を選んだのではない、そういう選択肢が出てくる。
 しかもそれだけで終わらない。
 殺された可能性すら、出てくるのだ。
 まさか。そんな……殺せるのか? あの叔父を。極神大全を手にしていた叔父を。
 殺せたのならば。
 永続効果を打ち消す力を持つ者、力を行使できる第三者の存在を意識せねばならなくなる。
 なんてこった。それは非常にやばい……展開じゃないか。
 背筋が寒くなり、自然と身体が震えだす。
「どうした。やはり気分が悪いか?」
「……いえ、大丈夫です」
 祖父の声に気付き、なんとか持ちこたえる。
 今、思考の渦へ落ちていくわけにはいかない。
 ぼくには、やるべきことがある。
 こういう場合を想定して、決めていた事柄がある。
 もう、やるしかないんだ!
 気力を奮い立たせて身体の強ばりを解くと、ゆっくり死体へにじり寄る。
「触っても、いいですか」
「いいとも。そのほうが六郎も喜ぶ」
 了承を得て、さらに近づく。
 祖父の視界を遮るよう身体を動かし、恐る恐る焦げきった頭部をさすった。
 見ているだけで気分が悪い。
 少しでも気を抜けば、酸っぱい胃液がせり上がってくる。
 我慢だ。我慢しろ。ここがチャンスなのだから。
 さするついでに死体の細胞を手に入れるのだ。
 ぼろぼろと落ちる皮膚の焦げかすを、手の平に付着させていく。
 じっとり汗ばんだお陰で黒ずむも、目的の品を手の中に感じる。
 これでいい。これで。これでぼくは……。
 禁断へ一歩近づく。
 それでも立ち止まるわけにはいかなかった。
 さすった手を握りしめて死体から離れると、祖父がそっと白い布を死体に被せ、振り向いた。
「落ち着いたか」
「……それなりに」
 薄くなった頭髪に、幾つかの老人斑が目立つも、祖父の目にはまだ力強さがある。近づきがたい雰囲気がある祖母よりも、祖父の方が話しやすかったが、五年前までは空知家の当主でもあった男だ。相応の眼力があるのは当たり前であり、その目が値踏みするかのように祐太朗を見ていた。
 この感じ……ここからが本題か。
 わかっていても視線には耐えられず、祐太朗は先に促した。
「なんでしょう?」
「……いや、ただ孫の成長をな」
 微笑むも、すぐに笑みは消えた。
「お前に話しておかねばならんことがあったのだが、気分はどうだ? 今でもええか?」
「ぼくは」
 先を急ぎたい。
 すぐにでも取りかかりたい。
 しかしそれだけで満ちているわけではなかった。
 恐怖は未だあるのだ。
 決意しても、少しのことで揺らいでしまう。
「構いません」
 意に反したことを口走り、眉をひそめる。
 そんな祐太朗を見てか、祖父の顔に笑みが戻った。
「無理せんでもええが。まぁ大したことじゃない。今回、密葬扱いになったのも、お前さんだけを呼んだのも、すべては六郎の意志だったことをな」
 意志。
 叔父さんの?
 わけわからず黙っていると、祖父は思い出すように目を閉じた。
「手紙が届いてな。読み終わったあと、知らせが来た」
 それって。
 推測が走るも、先に答えは来た。
「死が近いと、知っていたのかもしれん」
 やっぱり。
 確信しながら、祐太朗は嘘をつく。
「近いとは。病気でも?」
「さぁな。こいつとはここ数年、連絡を取ってなかったからな」
 言いつつ祖父の目が開き、視線が絡む。
 試される?
 意識したと同時だった。
「私らよりも、お前のほうがよく知っているのではないか?」
 知っている。
 でも言うわけにもいかない。
 誰も信じてはくれない、レベルなのだから。
 瞬時に判断し、記憶を探る素振りも見せずに首を振る。
「ぼくもなにも。連絡も取ってなかったので」
「そうか。まぁそうだろう」
 勝手に納得した祖父は、追求することなく苦笑を浮かべた。
「六郎は変わり者だったからな。なにを考えていたのか、最後まで理解してやることなど、できんかった」
 叔父の遺体を見つめ、祖父は肩を落とした。
「よーわからん。ほんとに。祐太朗、お前にも迷惑を掛けることになったな。すまん」
「いえ、ぼくも叔父には、昔よく世話になりましたし」
「だったか。だからなのか。こいつはよ、お前に全財産を譲ると書いておった」
「……は?」
 全財産?
 突飛な単語に思考が停止した祐太朗を、流し目で見た祖父は淡々と口にしていく。
「六郎の、だな。空知家としてのではないため、大した額はない。ただこいつが集めた品はすべてお前のものだ、祐太朗」
「は、はぁ」
「もう荷は届いている。すべて六郎の部屋へ運んでおいた。あれはお前のものだ」
「全部、ですか」
「あぁそうだ。全部……なぁに大丈夫、なにも持って帰れとは言わん。この家で、こいつの部屋で保管しておいていい。いや、いっそあの部屋はお前の部屋にしてかまわん」
 悪くない。
 荷物云々は後に回すとして、条件はいい。
 損得は簡単にはじき出せたが、同時に嫌悪感を伴う懸念も過ぎった。
「でも、皆さんは」
「気にせんでいい」
 言い切った祖父は、ひざ立ちのまま一歩下がり、祐太朗へ深々と頭を垂れた。
「これは皆の総意でもある。よろしく、頼む」
 皆の。そういうことか。
 押しつけだ。
 関わりを断ち、雑用をすべて祐太朗に任せる。
 随分、嫌われたもんだな。
 目上の土下座を前に、慌てるフリをしながら礼を返す祐太朗は、一人納得していた。
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